あゝ無常

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皆さんこんにちは、シンです。

 

・・・

セミが死んでました。
今年初めて見た第1号のセミの亡骸。

【生を全うできたのかな?】

アリが既に集まってきています。

 

「無常」

 

一切のものは移り変わり、生まれては消滅する運命を繰り返し、永遠に変わらないものはない、という仏教の教えですね。

セミの亡骸を見るといつもこの言葉が思い浮かんできます。

人の生き死にも国の存亡も、不変を望みますが何一つ永遠に同じなんてことはありません。

今目の前に横たわっているセミの亡骸に対しては「かわいそうに。」という感情がもちろんあります。
こんなところでは誰かに踏まれてしまうから場所を移してあげよう、とも思います。(でも案外まだ余力が残っていて暴れ出すセミもいるので怖くてできません汗)

でもこのセミがアリの食料となり、土に帰って樹木の養分となり、それをセミの幼虫が食べて成長します。
死んでしまえば「無」だと思われますが、この生の循環システムにおいて死には意味があり、決して無ではないんだろうなぁ、と。

 

安倍元総理の突然の死に衝撃を受けましたが、この死に方にも何か意味はあるのだろうと思いたいです。

もちろん暴力によって命を奪うということは断じて許せません。
しかしそういうことは残念ながら起きてしまいます。

ならば「しっかりと守る」ことを強化せねばなりません。
今回は警備体制の不備を言われています。
これを機に警備体制の強化・徹底がされるようになれば、安倍元総理も少しは浮かばれるのではないかと思います。

ただ、容疑者を許すつもりはありませんけど、その生い立ちを知ると壮絶すぎて泣けてきます。
この方も殺人容疑で逮捕されるまでは社会的には被害者なんですよね・・・。

 

この話になるとどうしても沈んでしまうので話を変えます。

生きている間にも「小さな無常」はあります、というか「小さな無常」の集合体がその人の生の部分で、「小さな無常」が生じない日なんてあり得ないわけですが。

私は前まで明太子が食べられませんでした。
それがキャンピングカーで旅に出て、「めんたいパーク」で試食して初めて美味しい!と感じました。
それからは好んで食べられるようになりました。
これも「無常」ですよね。
永遠に嫌いな食べ物なんてないし、反対に大好きだったのに嫌いになるものもあります。

【明太子食べ放題のお店でたらふく食べました】

昆虫が好きだったけれども、成長するにつれて苦手になり、そして今また昆虫に興味を持ち始める。
きっかけは息子ですけど、これだって「無常」ですよね。

明日の私は今日より1日年老いた私、昨日の私はもうこの世に存在しない。
だから1日も無駄にできないのです。
ということで3連休はちゃんと遊ばないとね。←これが一番言いたかったコト

それでは皆さん、Have a nice day !

【それぞれ分けました】