日本“シン”記録 with P

クレソンジャーニー〈P号〉と日本各地に出かけた記録

DE01で旧東海道を通って静岡までポタリング② 日坂宿〜府中(静岡市)

皆さんこんにちは、シンです。

昨日の記事↓の続きです。

www.mountain-camp-cycling.com

小夜の中山

日坂宿から隣の金谷宿の間に難所である「小夜の中山」があります。
旧道を辿って静岡まで行くと勝手に決めたルールに則り、国1バイパスの下を潜って行きます。

この先に本当にこんな坂が待っているのでしょうか?
答えはすぐに分かりました。

【さすがにコレはないでしょ】

【実際の日坂、約25%の勾配です】

誇張された絵ではありますが、感覚的にはホントそんな感じの急坂です。

さすがに電動アシストでも登れません、もっと体重が軽い人ならいいのかもしれませんが、私の体重ではモーターがいかれそうなので押して歩きました。

これまで快適だった電動アシスト自転車もここでは大変な重荷に変わります。

ハアハアしながらも標高差180mを登りました。

一昨日の記事↓で、
「なんで武田軍は浜松に向かうのに沿岸の御前崎に迂回して進軍したのか?」
はきっとこの険しい山越えを嫌ったからではないか、と思います。
こういったものは徒歩や自転車で通って、初めて実感できるものですね。

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【頂上付近にあった白山神社】

【ここらが最高地点】

こんな場所にも茶畑があります。
ここまでの行き来、クルマでも大変だと思うのですが・・・。

このあたりは観光名所として幾分か整備されています。

【ノスタルジックです】

【あふきや(扇屋)】

小夜の中山には「夜泣き石」という伝説があります。

この峠を歩いていた妊婦さんが山賊に襲われて殺されましたが、女性はお腹の子を助けようと近くの石に魂を移し泣き声を発しました。
その声に気づいた近くのお坊さんがお腹の子を救い出し、お乳の代わりに水飴で育てたんだそうです。
そして立派に成長した男の子は母の仇討ちを果たした、というお話。

その水飴が看板にある「子育飴」です。
お店は閉まっていたのでまたいつか買いに来たいと思います、ってここまで来られるかな汗

 

まあ夜泣き石伝説はローカルな言い伝えですが、こちらはメジャーではないでしょうか。
かの西行法師が詠み、新古今和歌集に収められているこの歌です。

【年たけてまた越ゆべしと思いきや 命なりけり小夜の中山】

西行法師は若い頃に一度小夜の中山を越えたのでしょう。
当時の畿内の人の感覚で、小夜の中山は辺境の地であり、人生に一度あるかないか、といった山越えでした。

でも年老いた西行法師にはもう一度小夜の中山を越える機会があって、この歌を詠みました。

「年老いた今になって、また小夜の中山を越えるだなんて。長生きしてる証だなぁ」

と言った感じでしょうか。
この歌を詠んだ時の西行法師は69歳、当時ではご長寿さんですね。

【立派な久延寺】

金谷宿(島田市)

ここから大井川に向かってダウンヒルです。
ブレーキを強く握ってもすぐには止まりません。
これはやっぱり油圧ディスクブレーキにすべきかな?

そのまま大井川、かと思いきや登り返がありました。
そこには旧道らしい石畳の道があります。

今回の「旧道で静岡まで行く」というルールであれば、この石畳を通らねばなりません。

しかしこんな凸凹道を電動アシスト自転車を押して登るなんて、もう無理です。
MTBなら楽しくいけたのでしょうが。

なのでここでルールを破り、近くの道を通ることにしました。

【歩いてみたい石畳ではあります】

登り返したあたりに諏訪原城跡があります。

この城は三方原の戦い以降に武田勝頼が築いた城で、武田家の遠江侵攻において重要な役割を果たした城です。

馬出とかも良好に保存されており、城好きなら一見の価値ある城跡です。
今回は時間がなかったのでまた今度です。

【諏訪原城跡、ここは絶対見ておきたい】

ここからは再びブレーキの効きが心配になる下り坂です。
眼下には大井川を挟んで島田と金谷の町が広がります。
天気が良ければ富士山も見えるんですけど、この日は午後から雨予報なので全く顔を出しませんでした。

あ、金谷宿と見出しをつけましたが、金谷宿らしい場所には行きませんでした汗

【それにしてもすごい下り坂だ】

島田宿(島田市)

さあ大井川です。

【長いなぁ、橋】

こちらは(旧)天竜川橋と違って、しっかりと歩道・自転車道があったので安心して渡れました。

橋を渡ってすぐ右に折れ、少し進むと島田宿です。

【こんなに川に浸かって渡していたんですね】

大井川は駿府城防衛の役割があり、橋や舟は一切禁止されていました。
なので「越すに越されぬ大井川」です。

でも川越制度という、上の写真のように人足が担いで大井川を渡るシステムがありました。

ここにはその資料館があります。
これまた興味深いのでまた来ようと思います。

さてレッドブルの効力が切れました。
糖質補給が必要です。
「街道一の名物鯛焼 よしむら」で鯛焼を食べます。

これで静岡まで頑張ります。

【ここの鯛焼は美味しい】

藤枝宿、岡部宿(藤枝市)

この時点でバッテリー残量は20〜40%、静岡市まで持つか微妙なところ。
帰りのタイムリミットも迫っていたので、旧道を辿るのは諦め、寄り道も極力せずにできるだけ最短で駿府城公園を目指すことにしました。

なので写真はいきなり岡部宿本陣趾です笑
しかもこれだけ。

ここも改めて来たいと思います、すんません。

【ここも古い街並みを保存しているようですね】

丸子宿(静岡市)

ここまで来ると静岡市はすぐそこです。
しかし最後に天然の要害が立ちはだかります。

【この向こうに静岡市】

まあこの脇の鞍部を抜けていくのですが。
ホントに駿府というのは東西北と自然地形に守られたいい場所にあります。

国道1号の脇の県道208号を通り、宇津谷隧道から静岡入りです。

【通称・大正のトンネル】

この隣に「明治のトンネル」があります。
もうバッテリーが枯渇寸前だったのでそちらには行かず、大正のトンネルを通りました。

【ついに静岡市】

宇津谷峠を過ぎると丸子宿です。

【初めて来たけど見たことあるぞ】

【ここが丸子宿本陣跡】

府中(静岡市)

安倍川を渡れば静岡市街中心地、もうゴールは間近です。

【ここまで来ればもう安心】

駒形通りから七間町通りを通り、静岡県庁前に到着。
13:30、無事ゴールです。

【何とか自転車で県庁まで通勤できる・・・訳ないよね】

【6時間会わない間に家康さん老けたね】

せっかく来たのだから静岡の街ブラをしたりして余韻に浸りたいところでしたが、とにかく時間がありません。

グルメバーガー食べるぞ!を勇気の言葉に漕いできましたが、結局はファストフードの雄・マクドナルドになりました。

【ビッグマックセット¥600はありがたいね】

味わう間もなく頬張って席を立ちました。

帰りは新幹線で輪行

食べ終わった時点で13:55、浜松行きの新幹線の出発は14:21です。
ここから駅まで移動し、自転車を輪行袋に詰め、切符を購入しなければなりません。

半ば諦めて次発でもいいか、と思っていましたが、案外輪行袋に入れるのがスムーズで余裕で間に合いました。

これ、普通のロードバイクとかだったら間に合いませんでしたね。
折りたたみだからこそスムーズに収納ができました。
むしろ切符を買う方が時間かかりました汗(切符購入の流れが分からず)

【わーい、夢の超特急だぁ(こだまですけど)】

【がら空きだったので贅沢に3列シート独占】

【浜松周辺は雨降ってました】

【いかにも浜松、って感じです】

静岡から浜松までこだまでも25分程度、速いです。
自転車で約6時間かけた距離が25分、時速250km超の猛スピードですからね。

こんなん自転車じゃ太刀打ちできないって思ったら・・・

【え?時速201km/h??】

どうやら宇津谷峠の下りで記録したようです。
そんな自覚はありませんでしたが、出てたんですね。
転ばなくて良かった。

浜松駅から駐車場まで自転車で走り、駐車場に着いた時にバッテリー残量がゼロになりました。

小夜の中山あたりの登り下りでバッテリーをOFFにして走りました(歩きました)が、普通の道であまり寄り道せずに走れば、静岡までは十分行けるだけのバッテリー容量がDE01はあると分かりました。

クルマや電車では通り過ぎてしまう町でも、自転車であれば景色が目に飛び込み、足を止めて観光することができます。(今回はほとんどすっ飛ばしましたが)

磐田の旧見付学校や国分寺跡、袋井宿、掛川城下町、日坂宿の街並み、諏訪原城跡、島田の川越、岡部宿の街並み、丸子宿の街並み。
今回だけでも、これだけ行ってみたいところが増えました。

皆さんの地元も自転車で町ブラするときっと新たな発見があるはずです。
楽しいですので是非やってみてください。

それでは皆さん、Have a nice day !

【今回の走行距離とルート軌跡】