皆さんこんにちは、シンです。
ようやくと言うかやっとと言うか、「どうする家康」岡崎大河ドラマ館に行ってきました。
私の故郷・岡崎は桜と花火が有名な街です。
どうせなら桜と一緒に訪問すれば1回で済むかな?と思い、この時期まで待ちました。
平日とは言え桜満開では岡崎城周辺は渋滞、駐車場難民になります。
天候も春らしく暖か、私の花粉症も峠を越したので、少し離れた「秘密の駐車場」に停めて自転車で移動することにしました。
平日通勤ラッシュを避けるため、5時30分に浜松を出発、岡崎には6時40分到着。
大河ドラマ館の開館は9時なので時間をつぶします。
私が雨の日も風の日も高校3年間自転車で通学した道。
長く感じていましたがたったの2.5km、あっという間に着きました。
岡崎の桜、観光向けにはお城周りですが、キレイなのはこの伊賀川沿いです。
でも前より減ったような気がします。
高校の時よく使っていたデイリー、そしてベントマン・・・ない。
そりゃ高校卒業して四半世紀が過ぎてます、景色も変わるよね。
でもちょっぴりセンチメンタル。
岡崎城から北に3kmほどの場所にある大樹寺、徳川家康好きなら聞いたことのあるお寺でしょう。
桶狭間の後、敗走する今川勢でもぬけの殻となった岡崎。
松平元康はまず大樹寺に入り、状況を見計らって無事岡崎城に入城しました。
そしてここで「厭離穢土欣求浄土」の言葉を自身の旗印としました。
混沌とする世の中、この言葉を希望の力としたんでしょうね。
ここ大樹寺境内から山門越しに総門を見ると、その総門の先に岡崎城が見えます。
これ岡崎市がこの間に遮るものを建てないよう条例で定めています。
徳川家康、岡崎城は市民にとってアイデンティティですから、この景観は大切に守られています。
大樹寺から南下して岡崎城、の前に一旦矢作川を渡り寄り道。
おぎやはぎのおかげで矢作川も難読地名ではなくなりましたね。
国道1号の矢作川西岸あたりに大人と子供の像があります。
この子供は幼き日の豊臣秀吉・日吉丸で、大人は後に秀吉の片腕となる蜂須賀小六です。
その2人が運命的な出会いをした場所がここと言い伝えられています。
三河と尾張の国境はもっと西ですが、国境と矢作川の間が織田・今川の緩衝地帯である種無法地帯となっていたのではないでしょうか。
そこで小六は野盗としてこの辺りに出没していて、偶然出会った秀吉を手下に加え、そのうち立場が逆転していくという流れです。
しかし小六は死ぬまで秀吉に仕え、また秀吉も弟の秀長同様に小六を信頼していました。
そう思うとこの出会いは偶然にして必然で、この2人の関係性というのは戦国時代において稀なものに感じます。
さてそれでもまだまだ大河ドラマ館の開館まで時間があるので岡崎城公園を散策して時間をつぶします。
先ほど母校近くで見た伊賀川は岡崎城の西側で乙川(菅井川)に合流します。
そしてその乙川はもう少し西のところで矢作川に合流します。
岡崎城は2つの川の合流地点の丘陵に建てられた、天然の堀を備えた堅守の城なんです。
しかも内陸地であってもお城まで水運ができるという恵まれた立地です。
岡崎城内には家康産湯の井戸があり、
家康の胞衣(胎盤)を祀った「えな塚」もあります。
公園内には昔からある花時計、三葉葵のお紋になっていますね。
ここにももちろん家康像。
これで岡崎、浜松、静岡の家康像をコンプリートです。
浜松の家康は若かりし頃なので一番シュッとしてカッコいいです、静岡は貫禄みなぎりますね。
こんなかわいい家康もありました。
今風な感じでいいですけど、私が岡崎城で好きなポイントはこちらです。
元々は軍事拠点である城(天守)と平和の象徴のような松の木、そして平穏を祈る神社。
この絶対的な武力に守られているからこそ、安心した生活が享受されるわけですよ。
一旦入口に戻り大手門を撮ります。
この門も私が高校の時はなかった気がします。
と言ったところで大河ドラマ館の様子は続きで。
それでは皆さん、Have a nice day !