岡崎の桜と大河ドラマ館②

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皆さんこんにちは、シンです。

昨日からの続きです。

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9時になってようやく大河ドラマ館が開館しました。
新たに箱物を作ったのではなく、岡崎公園内に元々あった三河武士の館という建物が期間限定で大河ドラマ館となっています。

【岡崎の大河ドラマ館】

【エントランス】

【松潤がお出迎え】

嵐ファンはこれだけでたまらないんだろうなぁ。
想像する家康のイメージとはかけ離れていますが、家康は美男子だったとも言われているので、当時はキラキラしていたのかもしれませんね。

大河ドラマ館の中は写真撮影NGの場所もありますが、今回記事で載せる写真は全てOKのものです。
なのでもっと面白いところもあって、その写真を載せられないのが残念。
気になる方はぜひ足を運んでください。

【松潤が着た衣装】

【太守様から授けられた甲冑(複製)】

【今後左からの命令で右を屠る・・・あぁ】

いくつか映像ブースがあり、関ヶ原のジオラマがあり、といったところです。
関ヶ原のジオラマは戦況に合わせて模型が動くもので、平泉成のような声のナレーション付きです。
と思ったら平泉成でした。

岡崎の大河ドラマ館は関ヶ原止まりでした。
その後の江戸幕府を開くところ、大坂の陣は浜松か静岡の大河ドラマ館で展示されるのか、ドラマは関ヶ原までなのか?
早く浜松の大河ドラマ館に行かなければ、です。

【井伊様、そろそろ出番ですな】

 

今回大河ドラマ館と岡崎城の共通入場券を購入したので久しぶりに岡崎城にも入りました。
展示内容も大河ドラマ館と被りが少なくしてあり、また大河ドラマ館では撮影NGだった資料がこちらではOKだったりもします。
大河ドラマ館のみの入館料が¥800で共通券は¥890、ここはセットで観覧するのがオススメですね。

今回「なるほど」と私が思ったのはこの図。

【岡崎周辺の松平一族を表示したものですが】

この図の右上、「松平」と書かれた地名が松平氏の由来です。
(↓その場所を訪問した時の記事)

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そこから巴川、矢作川に沿って勢力を伸ばし、岡崎城を居城としたわけですね。
当時の川というのは生活に欠かせないもので、特に矢作川のような大河は水運に使えます。
そして乙川が矢作川に合流するあたりは自然の堀となり防御に適した場所です。
山から下りてきてちょうど守りやすい場所、それが岡崎だったんですね。

 

今は再現天守がありますが、家康統治時代は天守なんてなく、規模も小さなものでした。
岡崎城が巨大化したのは豊臣家家臣、田中吉政が統治していた時なんですね。
家康の時代の3倍くらい巨大化しています。

【左が家康時代、右が豊臣時代】

そして江戸の平和の世になってから、岡崎の町は発展し、産業が盛んになります。
代表的なのはこの5つです。

【岡崎は石の町です】

岡崎は墓石とか有名なんです。
自分も死んだら岡崎の御影石で作られた墓石に入りたいですけど、まあ高い・・・。

【岡崎は花火の町です】

戦国期の終盤に登場した鉄砲の威力は凄まじく、戦い方が一変しました。
危険極まりない火器の製造は太平の世においては厳しく取り締まられるのが世の常。
江戸時代には火薬の製造や材料の貯蔵は三河のみに制限されていたそうです。
その兵器としての火薬を平和利用したのが花火で、火薬職人が多くいたことで三河花火は全国的に有名となりました。

【岡崎は味噌の町です】

岡崎城から西へ8帖離れた場所で作られていたから「八丁味噌」です。
そこで作られたもののみが八丁味噌を名乗ることが許され、その他地域では単なる赤味噌です。
福井のカニのみが越前ガニというのと同じ発想ですね。

味噌煮込みうどんや味噌カツと、味噌料理は名古屋メシの印象ですが、その主要材料の八丁味噌は岡崎オリジナルです。

【岡崎は仏壇の町です】

三河は仏壇も有名なんです。
まあこれに関しては他地域でも該当するところはあるでしょうね。
将来的には三河仏壇を持ちたいなぁと思いますが、如何せん家がログ風の家なので不釣り合い・・・。
まずは程々の家に建て替える財力が欲しいです。

【岡崎は木綿の町です】

これは岡崎、というか三河全般ですね。
木綿が有名なのは日本各地にありますが、広まったのはここ三河からと言い伝えられています。

これだけの産業が発展するというのは当時において岡崎が特別な地域だったから、でしょうね。
住んでた頃は何も気に留めることはなかったのですが、こうやって改めて見てみると岡崎すごいな、と感じます。

ちなみに廃城令で消失する前に撮影された岡崎城がこちら。

【すげぇかっこいい】

天守の横に大きな櫓があり、豪華なお城です。
明治政府が廃城令出さなければ残っていただろうに、いや空爆で焼失したか。
東海地方で3番目の規模というから相当なお城だったんでしょうね。

 

さて大河ドラマ館、岡崎城を見終えてまだ10時。
てか9時開館だったから1時間しか見てなかったのか。

昼食は名鉄・岡崎公園前駅、愛環・中岡崎駅近くにある「大西庵釜春」と決めていて、開店が11時なので少し時間つぶしします。

【とりあえず電車撮っとけ】

【もういっちょ】

【八丁味噌蔵】

10時40分、そろそろお店に並ぶかな。

【釜春本店です】

お店に行くとパラパラ人がいて、入り口には順番待ちのリストがありました。
既に6組書かれています。
名前を書いて待っていると人が増えててきて・・・

【おお、人が湧いてきた】

この後も絶えず増えてきて、開店時には100人以上待つ状況となっていました。
昔はこんなじゃなかったのにね。

というのもテレビ番組であるメニューが取り上げられてから人気に火がつきました。
そのメニューがこちら。

【もろこしうどん】

卵とじうどんにスイートコーンが入っているうどんです。
これを求めて人が集まってきています。

昔は別に人気とか名物、といった意識はなく、単なるいちメニューでした。
それが今では8割以上のお客さんが注文する大人気メニューになりました。
テレビの影響は恐ろしいですね。

でもこのお店、何よりうどんが美味しいので、何を注文しても間違いはないかな、と思います。
次行く時は味噌煮込みうどんにします。


パジェミに戻る途中、東岡崎駅、母校の中学校、小学校に寄っておきました。

【東岡崎駅は刷新されオシャレになっていました】

【思い出のロッテリアは健在!】

【この坂の上に中学があります】

【小学校のグランド、懐かしい】

岡崎にいる頃は今回の行動範囲をすごく広い範囲に思っていましたが、今となっては「え?こんなにコンパクト?」と感じる程度です。

広い範囲での行動に慣れると縮尺の感覚にズレが生じますね。
よく私の「近い」は嘘だ、と言われます。
たかだか10km自転車で走るのがそんなに遠いの?と思いますが、世間では少なくとも「近い部類ではない」距離なんだそうで汗
私の距離感はきっと北海道民レベルかと、いや彼らはそれ以上か。

まあ久しぶりに自転車で走った岡崎の街は懐かしくて楽しかったです。
夏に花火を見にまた行きます。

それでは皆さん、Have a nice day !