【スーパーカブ】本田宗一郎ものづくり伝承館に行ってスーパーカブC100を見る

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こんにちは、シンです。

スーパーカブについて色々と調べる毎日を楽しく過ごしておりますが、納車日も近づいてきました。

で、乗る前にちょっとフライングではありますがスーパーカブ初期に近い車両が展示されている本田宗一郎ものづくり伝承館へ行ってきました。

本田宗一郎ものづくり伝承館とは

本田宗一郎ものづくり伝承館 = 浜松市天竜区二俣町

本田宗一郎ものづくり伝承館は浜松市天竜区二俣町にあり、建物は旧二俣町役場で登録有形文化財として文化庁に登録されています。
ここにはホンダの作った初期の頃のバイク7台が展示されています。
規模としては小さいですが、ここがホンダの原点だと思うと感慨深いものがあります。
ホンダ愛好家の間では聖地となっているようです。

入館料無料というのも嬉しいポイントです。
月曜・火曜(祝日の場合は水曜日)、年末年始が休館日なので、訪問の際は事前確認をお忘れなく。

本田宗一郎とは

本田宗一郎はご存知の通り本田技研工業株式会社の創業者で、生まれは静岡県磐田郡光明村(現: 浜松市天竜区)です。
好奇心旺盛で、何でも直してしまうし、多くの発明もしていたことから「浜松のエジソン」「日本のエジソン」とも呼ばれていたとか。
もっとも「〜のエジソン」でまとめられる人物を通り越したオンリーワンな存在です。

そんな本田宗一郎ですが仕事においては滅法厳しかったようで、現代にタイムスリップしてきたら秒でパワハラ訴訟間違いなし、な逸話も残っています。
ただそれは自分たちが作る製品(バイク、自動車)は間違えば人を殺してしまうものだからこそ、エンジニアは相当な覚悟をもって真剣に取り組んでもらいたい、との強い思いがベースにあったからだと言います。

一代で「世界のホンダ」を築き上げた本田宗一郎は浜松の偉人として紹介されますが、1991年に本田宗一郎が亡くなった時点では生まれ故郷は天竜市で、浜松市ではなかったんですよね(天竜市と浜松市が合併したのは2005年)。
浜松市で創業して大成したから浜松の偉人、というのは間違ってはいませんが。

また自由奔放な本田宗一郎にとって、浜松の(田舎特有の)世間の目——出る杭は打たれる的な——がストレスで、生きづらさを感じていたようです。
このことも東京への本社移転を決断するきっかけだったのでしょう。

やってみもせんで

そんな本田宗一郎は多くの名言も残していますが、私が一番印象深く感じたのは「やってみもせんで」です。
私には普通に聞こえますがこれは方言でしょうか?

本田宗一郎の「新しい技術や理論を求める仕事というものは99%が失敗である」という言葉、これはエジソンを意識して語ったのかなとも思いますが、いかにも技術屋らしい言葉ですね。

今の子どもは「そんなの無理だよ」「多分ダメだよ」と、無駄になりそうなことを避ける傾向にあると言われています。
とても効率的で合理的な発想です。
でも技術屋から言わせれば「やってみもせんで、何が分かる!」ってことでしょう。
浜松でよく言われるやらまいか精神にも通じる思考です。

ホンダカブF型(1952)

施設、人物紹介が長くなりましたが本題のスーパーカブです。
スーパーカブとは「カブを超えた」と言う事ですから、当然カブと言う存在があります。
それがこちら、ホンダカブF型です。
カブ(cub)とは駆け出し、新米、熊やライオンなどの幼獣の呼び名、なんだとか。
元々はバンビィの名で開発が進められていましたが、発売直前で改名したそうです。
スーパーバンビィ、クロスバンビィ、しっくりこないです。
ハンターバンビィーなんて笑
カブにして正解でした。

ホンダカブF型(1952年)= 本田宗一郎ものづくり伝承館

ぱっと見自転車ですよね、そう自転車なんです。
自転車に原動機を付けたから原動機付自転車なんです。

ホンダF型エンジン = 本田宗一郎ものづくり伝承館

モペットとは

最近では危険運転とかで問題視されているフル電動自転車をモペットと表現していますが、実はその言葉はこの頃からあったもので別に新しい言葉ではありません。
正しくはモペッドで、"MO"tor & "PED"al を組み合わせた造語です。

今のフル電動自転車は見た目自転車ですが、上の写真を見れば原付に分類されるのは納得ではないでしょうか。
ガソリンエンジンがモーターに変わっただけですからね。

このホンダカブF型のF、その前にはA型がありB型、C型・・・と順番にアルファベットが振られています。
だいぶ改良されて満を持して登場したこのホンダカブF型は半年で2万5千台を販売するヒット商品となりました。

でも当時自転車も原動機も既にある技術でした。
この既にある技術を組み合わせて新しい価値を創造する、この秀でた着眼点を持つ人は素晴らしい商品を世に送り出してくれます。
それが得意な企業の筆頭がApple社ですね。

スーパーカブC100(1958)

そんなホンダを支えたヒット商品のカブF型を超えるものとして1958年に登場したのがホンダスーパーカブC100です。

ホンダスーパーカブC100(展示車両は1963年モデル)= 本田宗一郎ものづくり伝承館

ホンダカブF型の登場から6年でこの進化、日本の戦後復興のスピードを知るにはホンダの歴史を見るのが一番分かりやすいです。
倒産の危機を迎えていたホンダを起死回生のV字回復させたのも、このスーパーカブC100です。

優れた性能を持ちながら5万5000円の低価格。
1958年の平均月給が1万6600円ですから、給料約3ヶ月分。
現在の平均月給(38万円)で換算すると125万円相当になります。
今の軽自動車(はもっと高いですが)のような位置付けだったのでしょう。

そして何よりこのデザイン。
洗練されてはいますが、登場から65年以上経ってもシルエットはほとんど変わっていません。

最終モデルのAA09型スーパーカブ50 = 川島モーター本店

スーパーカブC100 のフロント周り= 本田宗一郎ものづくり伝承館

スーパーカブC100 のメーター = 本田宗一郎ものづくり伝承館

スーパーカブC100 のミラー = 本田宗一郎ものづくり伝承館

スーパーカブC100 の変速ペダル = 本田宗一郎ものづくり伝承館

スーパーカブC100 のフロントブレーキ = 本田宗一郎ものづくり伝承館

スーパーカブ50が販売終了なだけで、そのほかの排気量のスーパーカブは今後も販売されるので車名は残ります。
でも初登場のこのC100が49cc(50cc以下)だったことから、スーパーカブ50は特別な存在です。
だからどうしても手に入れたかったんです。

ちなみに50cc以下なのになんでC100?と言う疑問が湧きます。
CはどうやらCycle のCらしいです。
そして100は当時ホンダでは排気量に応じてナンバリングしていて、50ccは1xxだったので100となった、と言われています。
その後排気量自体の表記に変わっていきます。

2階には本田宗一郎関連書籍がズラリ

本田宗一郎ものづくり伝承館の2階に上がると関連書籍がズラリと並んでいます。
さすが世界的な偉人となるとすごいですね。

全て本田宗一郎にまつわる書籍ばかり = 本田宗一郎ものづくり伝承館

そしてその隣にはCVCCエンジンの模型。
1970年に出されたアメリカの大気浄化法(マスキー法)は非常に厳しい規制で、それをクリアするのは到底不可能と言われていました。
しかしそれを唯一クリアできたのがホンダのこのCVCC型エンジンです。

CVCC型エンジンの模型 = 本田宗一郎ものづくり伝承館

説明読んでもさっぱり分かりません・・・。

このエンジンでホンダの名声はさらに高まったのですが、本田宗一郎は技術者としての自身の限界を悟ったエンジンでもあります。
それは自分を超える優秀な人材が育っていると言う証拠でもあるんですけどね。

多分そんなこととかがこの2階にある書籍にはいっぱい書かれているんだろうな。
ああ読みたい。

ホンダ好き、バイク好きな人はぜひここ本田宗一郎ものづくり伝承館に来て、ホンダの原点に触れてみてはいかがでしょうか。

それでは皆さん、Have a nice day !

ASIMOもいるよ = 本田宗一郎ものづくり伝承館