こんにちは、シンです。
今回の記事は敦賀市にある越前国一之宮・気比神宮です。
嶺南最大都市の敦賀は若狭国ではなく越前国
先月の福井旅行を書くにあたり、通過する滋賀県は仕方ないにしても敦賀観光を計画に入れていて「越前の旅」とするのも気が引ける、と思っていました。ところで越前国の一之宮はどこかな?と調べたら敦賀市にある氣比神宮でした。敦賀市は今でこそ嶺南地方を代表する都市ですが旧国名だと若狭国ではなく越前国だったんですね。それを知り安心して「越前の旅」と銘打つ事ができました。

敦賀について
敦賀の地名の由来は諸説ありますが日本書紀には朝鮮半島から「都怒我阿羅斯等 (ツヌガアラシト)」が渡来し、「角鹿」と呼ばれるようになったとされています。それでも700年代初頭にはすでに「敦賀」の字が当てられていたようです。
その頃は山形県庄内地方の一部からここ敦賀までが「越の国」と呼ばれていました。京の都から山を越えて敦賀に至り、海を越えて北国へそして大陸へ。だから越の国と。
ちなみに越の国はその後に越前国・越中国・越後国と三分割されますが、この時点では能登国と加賀国は越前国の一部でした。なので当時の越前国は越後国と同じくらい広大な国だったんです。でも広過ぎて国司が領内訪問するのが大変だったので能登国ができ、それでも大変ってことで加賀国ができ、越前国は望んで縮小していったんだそうな。
その越の国において敦賀は京の都に一番近い港です。大阪の方が近く感じますが当時の瀬戸内海は海賊が多くて危険な場所でした。潮の流れも複雑ですし。敦賀からだと峠を越えれば琵琶湖の水運で大津へ、そして逢坂の関を越えれば京の都で、陸地移動は最小で済みます。
だから先ほどの朝鮮半島からの渡来人もそうですが古代日本において敦賀は外国との交易において重要な玄関口でした。近代でも欧亜国際連絡列車の航路がウラジオストクと敦賀を結んでおり、敦賀はやはり重要な都市でありました。
私が好きな戦国時代で敦賀を任されていたのは大谷吉継です。そして現在の彦根市周辺を任されていたのは石田三成。日本のくびれ部分でこの二人が東に睨みを利かせて大坂を守っていたんですね。
氣比神宮
そんな重要な場所だからこそ格式高い神社があっても当然でしょう、702年に氣比神宮が建立され、越前国一之宮に定められました(氣比神宮と改めたのは明治28年)。
そして「神宮」です。神宮とは特に皇室と縁がある神社になります。全国に約8万の神社があるそうですが神宮を名乗る神社は伊勢の神宮を除き24社で、そのうちの1つが氣比神宮です。
日本三代木造鳥居の大鳥居
国道8沿いに赤塗りの大きな鳥居があります。この鳥居、日本三大木造鳥居だそうです。あとの2つは奈良県春日大社と広島県厳島神社です。どちらも超有名な神社で、知名度ではちょっと劣る?いやいや私が無知なだけです。

本殿、拝殿
大鳥居をくぐって手水舎で手口を清め、進んで左側に拝殿と本殿があります。やはり大国越前の一之宮、とても立派です。


四社の宮・九社の宮・神明両宮
外からでは見えませんでしたが、拝殿の奥にある本殿を囲むように四社の宮があるようです。
そしてさらに拝殿の西側には九社の宮があり、こちらは拝む事ができます。


さらに九社の宮の奥には屋根に守られて2つの宮が並んでいます。こちらは神明両宮、つまり伊勢の神宮の内宮と外宮です。

実は東側にも三社あったんですね、行った時には気付かず家に帰ってから知りました。今度行くときには必ず参拝します。
氣比神宮、敦賀と松尾芭蕉
氣比神宮及び敦賀は「おくのほそ道」にも登場する松尾芭蕉ゆかりの地でもあります。氣比神宮からのぼる月はさぞ美しいようで、芭蕉も心待ちにしていたようですがあいにくの天気で満月は見られなかったみたいです。

日本百名月の地
そんなこともあってここは日本百名月の地です。2029年1月1日は皆既月食です。ここで初詣&お月見なんて最高でしょうね。ただ時間的に南の空高くに月は昇っているので、神社とのツーショットは難しいでしょう。大鳥居と月はいけるかもしれませんが、初詣でごった返す境内での写真撮影は迷惑千万でしょうからやめましょう。

天筒山
氣比神宮の北東にある天筒山 (てづつやま) というのがまた均整のとれた美しい姿をしています。神様がこの地に降臨したのもきっとこの美しい山と美しい海に目を止めたからでしょう。ここから昇る月は間違いなくキレイでしょうね。

簡単ではありますが氣比神宮の紹介でした。
それでは皆さん、Have a nice day !