身近な小さなことに「災難にあった」と思うことで怒りが抑えられる?

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こんにちは、シンです。
今日は日常のちょっとした出来事を。

「災」というドラマを見た

先日、Netflixで「災」というドラマを見ました。劇場版とドラマ版があって、私が見たのはドラマ版。元々はWOWOWで放送していたものです。ドラマ版は全6話で1つの事件ごとにまとまっているのに対し、劇場版はそれを切って再構築して作られているものになります。ストーリーの理解しやすさで言えば断然ドラマ版になります。

「災い」の存在

なんの非もないごく平凡な生活を送っていた人がある非突然死体で発見される。警察は自殺や事故として処理するが、その死の側には必ず「ある男」が存在していた——というサイコ・サスペンスです。
死体は必ず髪の毛 (もしくは髭) の一部が鋭利に切られている特徴があることから、1人の刑事は同一犯による殺人事件と疑いますが捜査は難航します。そして死亡した人の親族が、「自然災害や事故やそういった災難によって家族を失った。そう考えればいいと思ったんだ。」と発言をします。悪意を持った人物に愛する家族の命を奪われたならその人物に対する恨みや憎しみは消えませんが、地震や津波など自然災害で命を奪われたならどうしようもない、といった諦めの境地、自分自身を防衛するコーピング反応です。

私にも「災い」が

そんなドラマを見た翌々日、私にも「災い」が現れました。といってもドラマのように誰かの命を奪われたり傷ついたりはなく、ものすごーーーく小さなことですが。
現場は当直明けに寄った快活CLUBです。

アニメ化した作品の続きが気になって「予習」するために寄りました。

ひと通り読んで戻しに行こう——「災い」はその時起こりました。写真は撮れなかったのでその時の様子を図示するとこんな感じです。

この椅子が私を通せんぼしていました。この席のオッサンは座っている時もかなり椅子を引いて座っていたので通り抜け困難だったのですが、まさか椅子を戻さずに離席するとは・・・。

「災い」と思うと怒りの感情が和らぐ?

この椅子を見た瞬間は、
「んだぁバカ野郎!通れないじゃねぇか!」 ←声には出していません
と怒りのボルテージがMax一歩手前まで急上昇しましたが、災を見た翌々日ということもあって、
「ああ、私も【災】に遭ってしまったということか。」
と思ってみました。公共性のカケラもない人にどんな怒りの感情をぶつけても、相手は反省もしないし響きません。いい年したオッサンなので、もう行動変容なんか期待値ゼロです。つまりエネルギーをぶつけるだけ無駄、これは災難にあってしまった、と思うと確かに怒りのボルテージが下がりました。なるほど、これが防衛反応か、と。
でもそのオッサンを書庫で見つけたら沸々と怒りの感情が・・・。まだアンガーマネジメントが未熟です。湧いた怒りはソフトクリーム食べて落ち着かせました。

意外と役立ちそうな「災難にあったと思うようにする」

世の中、異常行動を起こす人は一定数いて、それに対して次のような行動に出る人もいます。

  • 【変な運転】をしてる前のクルマを煽った or パッシングした
  • 【煽られた】から煽り返した
  • 【因縁つけられた】から受けて立った
  • 【駐車場で割り込みされた】から注意した

確かにそんなことされたら怒れます、なんかやり返さないと気が済まない、その気持ちもよく分かります。でもその結果状況がさらに悪化したり、返り討ちにあってひどい怪我を負わされてしまう (命を奪われた) かもしれません。異常行動を起こす人を正したり対処するのは立派なことではありますが、今は悲しいかなその正義感が身を滅ぼすきっかけになりかねない時代です。歳を取って導火線がどんどん短くなっているので、本当に気をつけないといけません。ドラマ制作者が伝えたかった趣旨と全然違うでしょうが、「災難にあったなぁ」とやり過ごす、自己防衛の危機管理として意外と役立ちそうです。
それでは皆さん、Have a nice day !