日本“シン”記録 with P

クレソンジャーニー〈P号〉と日本各地に出かけた記録

2022年夏休み南紀の旅④ 〜熊野本宮大社〜 【通算79〜85泊目】

皆さんこんにちは、シンです。

7泊8日の「2022年夏休み南紀の旅」3日目、ここからは熊野三山を参拝した記録になります。

2022年8月7日【通算81泊目】

【3日目の朝はやや曇りがちの天気】

朝は曇りがちの天気でした。
寝る頃の車内はまだ不快さが残る感じでしたが、朝は気持ちの良い温度になっていました。
もっとマックスファンの風量を上げれば外気温と車内音の差は縮められたかもしれませんが、バッテリー残量も気になるので風量は控えめで回していました。
あまり強くするとうるさいですしね。

【寝る前より2℃ほど下がっていました】

熊野古道を歩くのは中止

この日はバスに乗って発心門王子まで行き、熊野古道を歩いて熊野本宮大社に戻ると計画していました。
なのでまずはバス停駐車場に行きます。

【ほとんど停まっていませんでした】

熊野三山と言ったらメジャーな神社ですので、駐車場は争奪戦か?と思いましたが案外空いていました。

しかしよくよく考えてみたら発心門王子から熊野本宮大社までは7〜8kmの道のりです。
子供連れて歩いていたら優に3時間はかかることでしょう。
そして暑くもなってきました。

その後のことも考えるとここであまり体力を消耗する訳にはいきません。
なので古道を歩く計画は中止し、熊野本宮大社の参拝だけに変更しました。

熊野本宮大社参拝の前に

大斎原の大鳥居

【田んぼの中に大きな鳥居が】

夜通った時には気づきませんでしたが、バス停駐車場から熊野本宮大社とは逆方向から大きな鳥居が目に飛び込んできました。

まず本宮大社より先にこちらをくぐりましょう。

【近づくと大きさに圧倒されます】

大きいと思うのもそのはず、この鳥居は日本一の大きさを誇るのだそうです。
ただ建てられたのは平成12年なので比較的新しいものですね。

八咫烏

この鳥居の下には金の玉を掴んだ八咫烏の像があります。

【足が3本あるのが特徴です】

カラスというとあまり良いイメージがないですが、ここ熊野では神聖な動物です。
神武天皇東征の際、熊野から大和橿原まで先導したのがこの八咫烏。
その故事に習い、「導きの神」として崇められています。

本宮大社にも本物のカラスがいましたが、どことなく品を感じました。(影響を受けやすい)

熊野とサッカーのつながり

そんな導きの神である八咫烏、日本サッカー協会のマークとして日本代表ユニフォームに付けられているのは有名ですね。
サッカーはゴールにボールを入れないと勝てないスポーツ、そのゴールに導いてくれますように、と願いが込められているんだそうです。

また蹴鞠の達人・藤原成通が蹴鞠上達祈願として熊野詣をしていたことから、日本サッカー協会も熊野で必勝祈願を行っているんだそうです。

あと、日本サッカーの父と言われている中村覚之助という人物は熊野川の下流、那智勝浦町の出身で、日本で初めてサッカーを紹介し、今の筑波大学に日本初のサッカーチームを創設した人です。

八咫烏で縁起を担ぐのは分かるとしても、日本サッカーの父なる人物もここ熊野出身となると、これは何か運命的なものを感じてしまいます。

【中村覚之助に関する解説が丹敷の湯にありました】

熊野本宮大社を参拝

本宮大社を守る鳥居と狛犬

大鳥居があるとこちらの鳥居は何と呼べば良いのかよく分かりません。
でもここに狛犬がいるということは、ここから先が本当に神聖な場所ということなんでしょうね。
下の写真では入場禁止に思われるかもしれませんが、写真を撮った時間が早かった(6時17分)からで、7時に開門します。

【本宮大社前の鳥居】
【狛犬、マスクつける必要があるのだろうか】
参道

7時過ぎて開門したのを確認してから本殿に向かいます。

【定番の参拝スタイル】

参道の真ん中に立つなんて不敬を犯してしまいました汗

この先には158段の石段が構えています、しかし身延山久遠寺の菩提梯と比べればなんてことはありません。

【先に行ったのに息子に抜かれてしまった】
手水舎

【参拝前に手と口を清浄に】

石段を登って右側に手水舎があります。
だいたいは竜の口から水が流れ出ているでしょうが、ここでは八咫烏が飾られています。

【八咫烏が見張っていますよ】
神門

【神門、この先に神様がいます】

参道をまっすぐ向かった先に神門があり、神門の奥に本殿があります。

ところがここでブロガーにとって大問題勃発。
神門より先は記念撮影以外の撮影が禁止、SNS・ブログなどに載せることもご遠慮ください、となっています。

なので本殿をお見せすることができないのですね。
これは伊勢神宮でも同様だったと思います。
何でも手軽に写真が撮れる現代ですが、やはり神聖な場所という意識は忘れてはいけません。

拝殿

【神門の隣にある拝殿】

こちらは撮影禁止となっていなかったので撮りました。

熊野本宮大社は全体的にこのような色合いで、他の速玉大社や那智大社の鮮やかな朱色とは趣が異なります。

きっとここでサッカー日本代表の必勝祈願が行われているのですね。

【拝殿前にあった大黒石と亀石】

【八咫ポスト、ちゃんと郵便ポストとして機能してます】

熊野本宮大社はもともと大斎原にあった

【明治半ばまでは大斎原にあったんですね】

本宮大社を参拝して神門の横の掲示に目をやると、もともと熊野本宮大社は大鳥居がある大斎原(おおゆのはら)にあったが、1889年の洪水によって中社、下社、摂末社が流され、倒壊を免れた上四社を今の場所に遷した、と書かれていました。

ということでもう一度大鳥居のある大斎原へ向かいます。

【水路を流されているカエルを見ているところ】

大斎原に着くと、そこには確かに建造物があったのだろうな、と思える敷地が広がっていました。
ここが本来神様がいる場所なので、建物がなくても神聖な場所であることに違いはありません。

なので遠目から控えめに撮影・・・

【これぐらいだったら許されるかな?】

ここに上社、中社、下社、摂末社があったわけですから、それは豪壮な様子だったんでしょうね。

そんなこと知らずにここに来たら、
「お、ちょうどいい広場みっけ。ここにテント張って寝よう♪」
なんて罰当たりなことしてたかもしれません。

元通りここに遷した姿を見たい気もしますが、昨今の異常気象ですからまた洪水に見舞われる可能性がありますから、それは叶わないことでしょうね。

 

今回の記事で熊野三山一気に書いてしまおうかと思っていましたが、熊野本宮大社でこのボリュームになってしまいました汗

残りの二社は次回に回します。

それでは皆さん、Have a nice day !