DE01で遠州鉄道奥山線の跡地を巡る

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皆さんこんにちは、シンです。

今日はかつて浜松中心部から方広寺のある奥山までを結んでいた「遠州鉄道奥山線」の路線跡を辿ってきました。

遠州鉄道奥山線

遠州鉄道奥山線をWikipediaで調べてみると、このように書かれています。

奥山線(おくやません)は、かつて静岡県西部、浜松市の遠鉄浜松駅(現・遠州病院駅)から三方原台地を北上して日本国有鉄道(国鉄)二俣線金指駅を経由し、引佐町(現・浜松市北区)の奥山駅との間を結んでいた、遠州鉄道の鉄道路線。軌間762mmの軽便鉄道

元は浜松鉄道(開業当時は濱松軽便鉄道)という、遠州鉄道とは別の私鉄だったが、戦後に合併し遠州鉄道の奥山線となった。また1950年(昭和25年)に途中の曳馬野まで電化され、曳馬野以北からの気動車と併結運転(協調運転ではない)したりもしていた。

戦後のモータリゼーション到来により業績を落とし、1963年(昭和38年)の区間廃止を経て、翌1964年(昭和39年)に全線廃止された。

出典元:Wikipedia

赤電の通称で親しまれている遠州鉄道西鹿島線とこの奥山線が、浜松中心部を起点にV字に敷かれていたんですね。

で、北の方では天竜浜名湖鉄道が東西に走っているので、浜松市には逆三角形の鉄道網がありました。

この奥山線の廃線が約60年前なので、10年ほど前に移り住んだ私は全く知りませんでした。
でも街中にある不自然な道路が実は奥山線跡と知って納得でき、「この鉄道が今でもあればな〜」と感じたものでした。

今回走ったルートを先に載せます。

【これがおおよその奥山線】

浜松の街中から約28kmでした。
実際は自宅から浜松街中まで、そして奥山から自宅まで走行しているので、総走行距離は54kmくらいでした。

出発地点まで移動

【国道257号を南下、もっと自転車専用を増やしてください】

【中心地では軽トラ市で歩行者天国に】

【浜松のシンボル・アクトタワー】

本当は軽トラ市を見て回りたかったのですが、財布は持ってきていませんし、買っても持ち運ぶ術がありません。
今回は何も見ず通り過ぎました。

この街中の道路のど真ん中を歩ける(歩行者天国なので自転車乗車禁止)のは気分が良いですね。

そして昨日観たGLAYのオンラインライブ(収録)の会場だったアクトシティ。
このデザインに色、私は好きですけど地元では賛否分かれているんです。
頂上の展望フロアから見る浜松市の夜景、そして日の出、遠州灘、とてもキレイですよ。

遠鉄浜松駅跡〜住吉駅跡

遠鉄浜松駅跡

奥山線の起点は「遠鉄浜松駅」、現在のクリエート浜松があるところです。
そこにはちゃんと標識がありました。

【ここに駅があったんですね】
【ビル側と道路側に標識あり】
田町口(北田町)駅跡

ここから新川に沿いながら西に向かっていきます。
そうすると田町口駅跡に到着、現在は公園になっています。

【跡地を示すものはありません】
元城駅跡

西に向かうと浜松を南北に結ぶ国道152号があり、それを越えたところに元城駅がありました。
現在はホテルコンコルド浜松が建っています。

【浜松ではまあまあ立派なホテル】
広沢駅跡

ホテルコンコルド浜松と浜松城公園の間を通り過ぎると、当時のトンネルが遊歩道として生きています。

上は国道257号です。

【赤レンガ造りの亀山トンネル】

狭いトンネルです。
この中を走れる程度のサイズの列車だったんですね。

ここは歩行者、自転車専用の通路となっているので安心して走ることができます。
トンネルを過ぎると広沢駅跡、記念のレリーフがあります。

【右下に広沢駅と書かれています】
名残駅跡

広沢駅跡を通り過ぎると立派なレンガ造りの橋脚が現れます。
広沢トンネルです。

【亀山トンネルより立派です】

広沢トンネルの先には奥山線があったことを残すモニュメント的なものがあります。

【天に向かう、銀河鉄道のようです】

【ああ、宇宙に行きたいなあ・・・】

【車止めも列車の車輪をデザイン】

浜松市立高校、浜松北高校を過ぎ名残駅跡へ。
このあたりは道路に跡地である表示がされています。

【名残駅跡です】
池川駅跡

広沢駅跡から住吉駅跡あたりまでの線路跡地は歩行者・自転車専用道路となっていて、浜松中心部でありながら、自動車を機にすることなく自転車で走ることができます。

【こんな感じです】
【池川駅跡】
上池川駅跡
【上池川駅跡】
住吉駅跡
【住吉駅跡】

この近くには聖隷浜松病院があります。
ここまでは歩行者・自転車専用道路となっていて、跡地も分かりやすいです。

銭取駅跡〜小豆餅駅跡

ここからは自動車も通行できる道路となります。

この「銭取」という地名の先には「小豆餅」という地名があります。
なんでも三方原の戦いで敗走中の徳川家康、休憩して小豆餅を食べた茶屋のあった場所が「小豆餅」。
そこに武田軍が接近してきたので家康は慌てて浜松城へ逃げますがお代を払っていません、つまり無銭飲食。
茶屋の婆さんがそりゃ堪らんと走って追いかけ、お代を受け取った場所が「銭取」。

そんな逸話が残っているんです。
屈強な武田軍からは逃げることができましたが、金への執着に燃える婆さんからは逃げ切ることはできなかった、ということですね。

銭取駅跡

【ここが駅跡であるという印はありません】
幸町駅跡

【今は郵便局があります】
小豆餅駅跡
【ここには朽ちた標識があります】

【近くのお菓子屋さん】

こんな形相の婆さん、武田軍より怖いかも・・・。
もしかして家康が脱糞したのは婆さんのせい?

追分駅跡〜都田口駅跡

小豆餅駅跡から先は道幅も広くなります。

武田軍を追いかけた徳川軍が陣を敷いたとされる追分の交差点。
交差する道は姫街道です。

この先はもう線路跡であることが全く分からない状況となります。

追分駅跡

【追分駅跡】

浜松では珍しく、飛び出し飛び太くんがいました。

曳馬野駅跡

曳馬野駅跡地には遠鉄系列のスーパーが建っています。

【浜松では高級スーパーの立ち位置です】

標識も何もなく寂しいな、と思ったらありました。
さすがに系列ですから何もなし、ではありませんでした。

【このあたりにも戦争の歴史があったんですね】
三方原駅跡

【今は本屋になっています】
豊岡駅跡

【豊岡バス停になりました】
都田口駅跡

【都田口バス停になりました】

谷駅跡〜金指駅跡

この先は線路跡のトレースも難しい地点となります。
特に谷駅跡に足を踏み入れるのは困難。
でも一番廃路らしい光景を見ることができました。

谷駅跡

都田口駅跡から進み、注意深く見ると線路があったと感じさせるものがあります。

【ここを走っていたんですね】

【この上が谷駅跡らしい】

少し進んだ先に上に登れる場所があります。
そこに行ってみると・・・

【ここから上がれます】

【おお、これはすごい】

ここに線路が敷かれて、煙をモクモクさせながら走っていたんですね。
その情景が浮かんできます。

祝田駅跡

【祝田バス停になっています】
【祝田橋の説明看板があります】

この先には天竜浜名湖鉄道が現在も走っています。

奥山線はその手前で西に曲がりながら合流していたようです。
その名残が金指の踏切手前の田んぼに見ることができます。

【田んぼのカーブが線路のカーブ】
金指駅跡

金指駅の北側に天竜浜名湖鉄道の線路、南側に奥山線の線路があったようですね。
金指駅の先で奥山線が跨いで北寄りに進むようになります。
その時の陸橋跡が最近まであったのですが取り壊されてしまいました。

【現役の駅、しかも国の重要文化財】

【かろうじて残った陸橋跡の一部】

岡地駅跡〜小斎藤駅跡

この先も駅があったことを示す標識はほとんどありませんが、線路跡だな〜と感じる道路、当時の名残、と楽しませてくれます。

岡地駅跡

【この辺が岡地駅跡】

【枕木とレンガ】
気賀口駅跡

【今はハローワークに】
正楽寺駅跡

【お寺も今はありません】
井伊谷駅跡

【ここだけ広いのが名残でしょうか】

この井伊谷駅跡から次の四村駅跡の間に当時の橋ゲタが現役で使われている場所がります。
やたらと細い橋が目印です。

【これもすごいじゃないですか】

四村駅跡

【何もありません】
田畑駅跡

【竜ヶ岩洞の近くです】
中村駅跡

【ここも何もありません】

何もないのですが幹線道路の脇で細くてクネクネした道が線路跡。
機関車に乗っていると想像しながら走ると楽しく、見える景色が車窓の景色に感じられます。

小斎藤駅
【ここは駅であったことを感じさせます】

終点・奥山駅跡

奥山駅跡

いよいよ終点の奥山駅跡です。
今では遠鉄バス奥山線の停留所となっています。

【何もありません・・・】

始点には標識があったので、終点にも何かあるだろう、と期待していたのですが何もありませんでした。
鉄道とバスの違いはあれど同じ会社、ちょっとぐらいあってもいいのにな〜。

今でもここに鉄道が走っていればと思いますが、採算性を考えるとやはり厳しいのでしょうね。
そして標識を残すにしても保存の費用が発生しますし。

まあこうやって記憶に残して良しとしましょう。
約28kmの道のり、当時の情景(知らんけど)に想いを馳せ楽しむことができました。

それでは皆さん、Have a nice day !