皆さんこんにちは、シンです。
大河ドラマ「どうする家康」の昨日の回は号泣ものでした。
この回のために第1話からずっと伏線張ってたんだな、と。
三方原の戦いと夏目吉信の最期
大河ドラマというのは登場人物の結末が分かった状態で視聴することができます。
なので三方原の戦いで家康の身代わりとなって戦死する夏目吉信(ドラマでは広次)はこの回が最期のシーンだというのも分かっていました。
でも家康の身代わりで戦死するほどの忠臣が名前も覚えてもらえない酷い扱い。
なんで?
結末は想像もつかない意表をついた設定でした。
そのためにずっと名前を覚えてもらえなかったんだなぁ、と。
家康の脱糞や小豆餅、布橋、家康に過ぎたるもの、といった三方原の戦いの逸話はスルーでしたが、そんなこと霞むぐらい夏目吉信のための回となりました。
家康が勝てなかった(信玄が勝った)理由は孫子の兵法の一節、
「勝者はまず勝ちて、しかる後に戦いを求め、敗者はまず戦いて、しかる後に勝ちを求む。」
に従う、というのがドラマでの演出になっていました。
数的有利であることも勝利の条件ですが、進軍の方法、徳川軍を誘き出す策略など、全て武田軍の手の内で行われた戦いが三方原だったんですね。
勝てるかもしれない、と望みをかけて向かった三方原で待ってましたとばかりに布陣する赤備え。
あの絶望的なシーンで阿部寛・信玄がこのセリフですからね。
ここ数回は非常に見応えのある内容でした。
「どうする家康 浜松大河ドラマ館」へ
ということで感動が冷めやらないうちに「どうする家康 浜松大河ドラマ館」に行ってきました。
ようやく、やっと、と言ったところでしょうか。
残すところはあと静岡だけとなりました。
写真の通り浜松城は小高い丘の上に建っています。(家康の時代には天守閣なし)
三方原台地の端っこで、こちら平地側には天竜川があります。
さらに浜松城の後ろ(少し離れていますが)には佐鳴湖を通って浜名湖、そして太平洋と海につながっています。
物資補給が非常にしやすいお城でした。
この堅牢な城だからこそ、自軍にも大きな損害を与える城攻めを武田軍は仕掛けなかったと言われています。
ちなみに今日は平日ですが、昨日娘が熱出したので保育園には行けないため休みを取りました。
熱自体は昨日の晩から平熱になっていたので問題はありませんが、念の為。
大河ドラマ館の内容は半分くらいが松潤の写真展といった感じでした。
まあドラマ館であって歴史資料館ではありませんからね。
それでも映像とかで松潤の口から「浜松」と発せられるだけでも光栄です。
娘はこの大河ドラマのオープニングテーマ曲がお気に入りで、その曲が「ポ、ポーン、ポポーン」と聞こえるので、「どうする家康」のロゴを見ると「あ、ポ、ポーン、ポポーンだ。」と言います。
ちなみにこのロゴ、初めの文字の「ど」の濁点から隣の「う」の部分が「MJ」なんですね。
今日教えてもらって気づきました。
まさにMJのためのドラマです。
お昼は横綱ラーメン
そのあとはコストコに行き、最近できたラーメン横綱でお昼。
とあるSAにある店舗は味がイマイチに感じましたが、こちらのお店は美味しかったです。
これで何食べるか困った時はとりあえずここに来れば良くなりました笑
それでは皆さん、Have a nice day !