皆さんこんにちは、シンです。
先週6月25日放送の「どうする家康・築山へ集え」は、平和な世界を築き上げるという計画が脆くも崩れ去り、その後の恐ろしい展開と続くストーリーでした。
そして次回7月2日放送の「はるかに遠い夢」、これは涙なしには見られない回となるでしょう。
史実では有村架純演じる築山殿はとんでもない悪女、そして嫡男・信康も勇猛ではあるものの乱暴狼藉を繰り返す問題人物、とされています。
それを覆す証拠がないから定説となっていますが、そう書いた人の主観や書かざるを得なかった事情などがある可能性もあります。
歴史は勝者が都合よく作り上げますから。
そう考えると今回の大河ドラマの設定、虫も殺せないほど心優しく、有能な信康が戦で多くの人が死に、また信康自身も人を殺すことで心が壊れ、罪のない坊主を殺してしまった、というのに「なるほど、そういう解釈か」と感心しました。
信康に関しては勇猛な武将で家康もその能力を認めていた、とされています。
特に勝つか負けるかの関ヶ原の戦いの時に家康は、「倅がいればこんな思いはせんで済んだ。」と言い、倅を秀忠(上田で真田に足止めされていた)と思い込んだ家臣が「間もなく到着されると思います。」と言ったところ、「その倅じゃないわ!」と吐き捨てた、という逸話が残っています。
史実や逸話から想像して作り上げた今回の大河ドラマの設定、個人的にはそうあってほしいと思ってます。
と長くなってしまいましたが、そんな松平信康(徳川ではないんですよね)が岡崎から幽閉、自刃に追い込まれた天竜二俣城に行ってきました。
行くまでの様子は前回の記事の通り、自転車で行きました。
天竜区の中心市街地・二俣は今でこそ平地となっていますが、昔は二俣川が二俣城と鳥羽山城の間を流れていました。
川と川に挟まれた場所だったから正しく二俣城だったわけですね。
この二俣城は遠州平野と山間部のつなぎめという要衝の地にあり、徳川・武田の攻防の城でした。
信康が自刃した1579年は家康の家臣、大久保忠世が城主となっていました。
信康が切腹する際、服部正成(半蔵)が介錯することになっていましたが、あまりのいたわしさに介錯ができなかったと言われています。
そのあたり、今回服部正成役の山田孝之さんがどのように演じるのか楽しみです(泣けるんだろうなぁ)。
そんな信康の首は信長の元へと届けられ、首のなくなった遺体は二俣城の近く、清龍寺で祀られました。
近年の研究においては家康・信康不仲説や、派閥抗争といった見方もあります。
家康にとって信康が脅威となった、という見方です。
でもそう考えるならば乱暴狼藉な信康像というのは疑問なのです。
そのような人物に従って主君・家康を追い出そうとする家臣が存在するのか?と。
それよりも信康は家康以上に有能であるからこそ従う家臣がいた、それを脅威に感じた家康が息子を殺した、そして殺されて仕方がないような理由を作り上げた。
そのほうがしっくりきます。
そんな有能な二代目を失い、家としては大ダメージを受けながらも最終的には天下をおさめた徳川家というのはやはりすごいな、と思います。
さて、この事件を週末にはどのように描かれるのかを楽しみに今週を乗り切りたいと思います。
それでは皆さん、Have a nice day !