皆さんこんにちは、シンです。
今日の“シン”記録は昨日の続きになります。
浜松城公園でおやつタイム
息子のランドセルを注文するミッションを完了し、せっかく街に来たのだから少しだけ回ってみよう、と。
浜松駅から北側の繁華街を少し抜けたところにあるケーキ(フルーツタルト)屋さんの「キルフェボン」があります。
浜松に来た頃、全国ネットのテレビ番組で東京のキルフェボンが紹介されているのを見て、「東京の有名店の支店が浜松にあるんだ。」
「浜松ってなかなかすごいじゃん。」
って思っていました。
しかし後になってキルフェボンの本店が静岡市だということを知りました。
コレまたすごい!と思いましたね。
さてタルトを手に入れて向かった先は浜松城公園、ここにスターバックスが出店しています。
タルトとコーヒーを手に入れ、公園でおやつタイム。
View this post on Instagram
お城が見える長閑な公園でのおやつタイム、贅沢なひと時でした。
それもそのはず、両方合わせれば1,000円越しますので金額的にも贅沢でした。
たまには良いよね、こういうのも。
公園の防災対策
さてこの息子が乗ってるブランコですが、何か普通と違うってお気づきでしょうか?
実はこのブランコ、災害時にはテントの支柱になります。
こんな感じですね。
何か新しく作るというよりも、既存のものを応用する対策って好きです。
また災害用だけども普段は別の使い方をする、というのも良いですね。
コレみたいに。
未曾有の被害をもたらした東日本大震災からもうすぐ11年です。
地震はいつ来るか分からないのでしっかりと準備しておかなければ。
せっかくのキャンピングカーも準備ができていなければ役に立ちませんから。
あとはちょっとだけ公園内を見てから帰ります。
城の北側には庭園がありまして、って今まで知りませんでした汗
日本庭園ってなぜか心落ち着きます。
無料で入れるのでこの近くに住んでいたら暇がれば散歩コースになってたんだろうなぁ、と。
浜松城公園の家康は若いです
先日駿府城公園に行った際に家康像を見ましたが、ここ浜松城公園にも家康像はあります。
まず駿府城公園にある家康ぞうがコチラ。
こういった銅像ってその人が一番「乗っていた」時の風貌が多いので、家康の場合は天下を治めた頃の年齢の銅像なんでしょう。
世間一般的な印象はコレですよね。
でも浜松城公園の家康は違います、こんな感じです。
家康が浜松を治めていたのは1570年から1586年の17年間、27歳から44歳くらいの間です。
なので浜松の地に立てる銅像としておじいちゃん家康じゃ合わないわけですね。
この当時の家康はというと三河一国から遠江も手中に治めて領土が拡大、戦国大名として名声も上がり嬉々としていたのでしょう。
しかしその喜びも束の間、武田家にボコスカにやられて死にそうになりながらも脱糞しながら逃げ生き長らえます。
そして織田家と合同で武田家を滅ぼし、駿河を手に入れます。
本能寺の変後の機会を逃さず甲斐・信濃を手中に収め、全国屈指の大大名にまでなります。
そこまで強くなると敵も大物に限られてきます、秀吉ですね。
その秀吉と家康の代理戦争のような小牧長久手の戦いで家康は有利な状況を作ることができ和解、後に秀吉配下となり、浜松から駿府に居を移します。
銅像は滅亡の恐怖からの興隆の礎を築いた年代の家康なんですね。
家康自身もそうですし、江戸時代には浜松城主となって幕府要職に就くといった流れから、浜松城の別名は「出世城」、なんとも縁起の良い名前です。
来年の大河ドラマは「どうする家康」、浜松ももちろん舞台となる地です。
大河ドラマが始まると混み合うかもしれませんので、その前に浜松に来て歴史探訪するのも良いですよ。
それでは皆さん、Have anice day !