【ポタリング】Daytona DE01で東海道をポタリング:岡崎宿から浜松宿編① 〜輪行で岡崎まで〜

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皆さんこんにちは、シンです。

1月12日は久しぶりのひとり平日休み。
何しようかな〜?と考えていたら、ふと思い出したことが。
それがこれ。

www.mountain-camp-cycling.com

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電動アシスト自転車のDaytona DE01を購入してすぐの頃にやったことです。
この続きでもやるかな?と。
そこで岡崎から浜松までの東海道を走ることにしました。

 

結果は無事走破できた、が・・・

結果から先に示すとこの通りちゃんと走破しました。

【Apple Watch のワークアウト結果】

しかし最後の最後でApple Watch のバッテリーが切れ、全走行データは保存されませんでした。

【この波線1.4km分が記録されず】

なので実際は77km走行したことになります。

ゴールで見たバッテリー切れのApple Watch。
充電して復活した直後に走行ログが残っていなかった時の絶望感・・・。
でもしばらくしたら 走行ログが表示されて一安心。
次回はこうならないような対策を講じなければなりません。

電動アシスト自転車DE01のバッテリーはインジゲーター残1でしたが、切れることなくゴールまで持ちました。

それでは初めから振り返ります。

 

浜松→岡崎? 岡崎→浜松?

まずこの区間を走るのに浜松から岡崎へ行くのか、岡崎から浜松へ戻ってくるのか、の選択となります。
東海道五十三次の順番は江戸から京なので浜松から岡崎が順当です。
しかし冬は北西の風が吹きますから、このルートはバリバリの向かい風になります。
しかも天気予報では風がやや強め予報、これは無理。
ということでルートは逆順にはなりますが岡崎から浜松、としました。

 

浜松駅始発の電車に乗って岡崎駅へ

【早朝の浜松駅、あたりはまだ暗い】

1月12日、朝4時に起床して4時50分に出発。
こういう時は間違いなく起きられるんですよね、不思議。

ゴール設定の浜松城近くの駐車場にアトちゃんを停めて、そこから浜松駅まではDE01で移動。
久しぶりに乗りましたが問題なし。
こんな時間に駅に来たのは初めてかな?

【始発の電車】

乗った電車は浜松駅6時1分発(始発)の新快速。
電車で移動できる輪行は便利ですが通勤・通学利用客が多い時間帯はできるだけ避けた方がいいです。
袋に入っていてもぶつかれば痛いですし、相手を怪我させるかもしれません。
また自転車も壊れるかもしれません。
なのでまだ混まないうちの始発に乗りました。

逆にラッシュアワーを過ぎてから行動する方法もありますが、この日の夕食当番は私。
となると始発に乗るしか選択肢はありませんでした。

【輪行は旅情感が爆上がり】

豊橋までは乗客も少なかったので隣の席に自転車を置きました。
浜松から豊橋は新快速と言えど各駅停車で時間がかかるので、できるだけ座りたいです。

しかし豊橋駅からは通勤・通学の利用客が増えてきたので席を譲りました。
まだこの時点では空席がある状況で、立っているのは私ともう一人だけでした。
豊橋から先は新快速らしく岡崎までに止まる駅は蒲郡だけです。

岡崎駅に電車が着くとプラットホームには人がいっぱいでした。
いいタイミングで電車を降りることができました。

【岡崎駅構内にて】

 

岡崎駅から矢作大橋まで

ここからはDE01での移動が始まります。
まずはスタート地点まで。

【岡崎駅から矢作大橋まで】

豊橋で名鉄に乗り換えて東岡崎駅で降りれば近いですが、輪行袋持って乗り換えるのは大変だし、きっと豊橋駅から名鉄に乗る人は多いはず(愛知県ではJRより名鉄が便利)。
それで多少遠くても構わないのでJRで岡崎駅降車を選択しました。

輪行袋からDE01を出して組み立て、出発。
矢作大橋を越えると「出合乃像」という石像があります。

【出合乃像】

ここは、太閤・豊臣秀吉公がまだ木下日吉だった頃、豪族・蜂須賀小六と出会った場所と言われています。
蜂須賀小六に仕えたことから秀吉は武士としての人生がスタートします。
この出会いがなければ後の秀吉の出世はなかったかもしれません。

蜂須賀小六はその後主従が逆転して秀吉に仕え、重臣として活躍し、その子孫は明治まで徳島を治めました。
阿波踊りも小六の子・家政が徳島城築城した際のお祝いで始まったのが起源と言われています。
この出会いがなければ阿波踊りもなかったかもしれません。

 

38番目・岡崎宿

【東海道五十三次 岡崎 矢矧乃橋】

【矢作大橋と岡崎のビル群】

出合乃像から少し南に向かった地点から撮影した風景が上の写真。
橋のかかっていた地点も違うので同じとはいきませんが、まあこんな感じでしょう。
当時の岡崎は神君家康公出生の地として特別な場所で、その岡崎藩を治める岡崎城はとても豪勢なお城だったようです。

そして絵にある矢作川にかかる橋は当時一番長かった橋だったようです。
だからその珍しい風景をこの宿場町の特徴として切り取って絵にしたのでしょう。

この橋も泰平な江戸時代であったからこそかけられたもので、秀吉と小六が出会った戦国時代にはかけられていませんでした。
そしてこれから走る東海道等の街道整備が進んだのも泰平な江戸時代になってから。
そんな世を作った徳川家康はやっぱり偉いです。

こうやって歴史と照らし合わせながらその場を見るのって楽しいもんです。

ここから浜松へ向けて出発です。
と言ったところで次回へ続きます。

それでは皆さん、Have a nice day !