【ポタリング】Daytona DE01で東海道をポタリング:浜松宿から府中宿編① 浜松宿〜日坂宿

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皆さんこんにちは、シンです。

以前ハマイチ(浜名湖1周)をした記事↓でこんなことを書きました。

www.mountain-camp-cycling.com

「ちなみに今回走行した約85kmという距離。調べてみたら浜松市役所から静岡県庁までの距離と同じくらいでした。つまり私は静岡市まで自転車で行くことができるのか。静岡市まで漕いで行って帰りは輪行で帰る、っていうのもいいですね。」

と。

はい、なのでやってきました。

スタートは浜松城公園

11月28日(月)、天気は午後から下り坂なので早めにスタート。
DE01をパジェロミニに積んで出発し、街中の駐車場にクルマを停めてDE01を降ろします。

【街中で12時間¥500なら安い】

スタート地点は浜松城公園、ゴールは駿府城公園に設定。

家康くんと直虎ちゃんに見送られての出発です。
Google Map で調べたところ、浜松城公園から駿府城公園までは82km。
ハマイチの経験からDE01の9.6Ahバッテリーで私なら走破できる距離だと考えました。

【大河ドラマに備えてお色直し中】

【未来のあなたに会いに行ってきます】

【家康くん、直虎ちゃん、行ってきます】

 

浜松城から南に向かい国道152号へ、そこから東へ向かいます。
国道152号には「東海道」の文字。
なんなら旧東海道をトレースして府中(静岡市)を目指そうじゃないか。
そう考えたのが過ちであることは知る術もなく・・・

【せっかくだからね、東海道を走ろう】

国道152号から県道312号〜261号に移り、天竜川橋で天竜川を渡ります。
この橋、歩道がないので自転車で渡るのはちょっと怖いです。
この時は通勤時間と相まって、クルマが徐行状態だったので良かったですが。

ふと隣の新天竜川橋を見るとしっかりとした自転車走行可能な歩道があります。
旧道にこだわった過ちが既に現れました。

そもそも東海道五十三次や東海道中膝栗毛の時代に橋なんかなかったのだから、あえて旧天竜川橋を利用する意味はありません。

【通るなら隣の新天竜川橋をオススメします】

見付宿(磐田市)

天竜川を越えると磐田市です。
この日は朝食も摂らずにスタートしたので、まずは補給。

【おまじない、おまじない】

県道261号を進むと松並木が見えてきました。
これこそ旧街道らしさです。
この感覚を味わいたくて旧道を走りたかったのです。

【街道には松がないとね】

今(江戸くらいから?)でこそ静岡県西部地域は浜松市が中心ですが、昔は見付と呼ばれていた磐田市に遠江国の国府が置かれ、行政の中心でした。

国分寺はありますし、見付から北に向かったところに遠江一宮の小國神社があります。

なので徳川家康も遠江での拠点を見つけに築こうとしていたようです。
しかし織田信長に「天竜川を背にして武田と戦ったら逃げ場がないぞ。」と忠告され、曳馬城の場所に浜松城を築いた、とか。

もう信長の目には三方原で惨敗する家康の様子が予見できていたのでしょう。

【国分寺はもちろんありません】

【平城宮跡のようです】

 

国分寺跡を北上すると「これより姫街道」の看板があります。
ここが浜名湖の南を進む東海道と北を進む姫街道の追分です。

【江戸から来るとここが分かれ道】

少し東に進んだところに「旧見付学校」があります。
明治一桁年代にこんな洋風でお洒落な校舎が建てられたことに驚きです。
ここの1階には三方原の戦いの時に徳川四天王の1人・酒井忠次が打ち鳴らした太鼓が展示されているようです。
今度見に行こうと思います。

【こんな史跡があったなんて知りませんでした】

ちなみに急遽「東海道で行こう!」となったので、宿場に関する予習なしで走っています。
なので見所とかはだいぶすっ飛ばしています、あしからず。

県道413号から斜めに入ったところで行人坂があり、坂を下ったところに大きな松の木があります。
ここを東に向かうと「明治の道」と呼ばれるところにつながり、一気に下って太田川へ。

【行人とは山伏のことだそうです】

【ここの松の木が大きかったです】

【そんなに大きな川ではありません】

 

袋井宿(袋井市)

袋井市に入るとすぐに「木原畷」という史跡があります。
ここは三方原の戦いの前哨戦、一言坂の戦いの緒戦にあたる木原畷の戦いがあった場所です。
って初耳ですけどね。

【袋井市に入ります】

【古戦場・木原畷】

 

袋井宿は江戸から数えても京から数えても27番目の中間地点です。
あちこちに「どまんなか」と宣伝されていました。

【整備された公園があります】

【こういう絵、好きです】

 

掛川宿(掛川市)

掛川はそれほど大きな都市ではありませんが、新幹線の駅があるので県外者にも聞き覚えのある市名でしょう。

掛川市内の旧東海道に今までで一番の松並木がありました。

【掛川です】

【これぞ東海道、といった景観】

 

掛川には復元されたお城ではありますが木造の掛川城があります。
掛川城は大名としての今川家が滅亡した場所、土佐藩主となった山内一豊が城主を務めた城として有名です。

まだ入場したことはありません。
でも今回自転車で巡ってみて、掛川城下の町も楽しそうなところでした。
家族連れて再訪したいと思います。

【掛川城もお色直し中】

日坂宿(掛川市)

掛川城あたりは防御も考えられて街道は複雑に折れ曲がった形になっています。
それをキレイに辿るのは難儀なので県道37号、県道415号を通って次の日坂宿に向かいます。

東海道にはおおよそ1里(約4km)の間隔で「一里塚」という目印が設置されています。
いくつか目にしましたが収集グセのある私には「不都合な」モノです、だってコンプリートしたくなるから笑

そのうち、やること無くなったらコンプリートの旅に出ようかな?

【伊達方の一里塚】

日坂宿がどのあたりにあるかというと、「道の駅掛川」の近くです。
ここは古い街並みを保存しているようですが、馬籠・妻籠などと比べるとスケールは非常に小さいです。

それでもタイムスリップした感じはありますから、ちょっと立ち寄ってみるのもいいかもです。

【道の駅掛川の横の道を行きます】

【日坂宿の入り口です】

【高札、掟が書いてありました】

【旅籠の川坂屋】

 

日坂宿というのは東海道の難所の一つ「小夜の中山」を江戸側から超えてきたところにあります。
京側から来ている私はこれから臨むことになります。

【転げ落ちるような坂じゃないか】

昔の絵は富士山の傾斜など、大袈裟に描かれているものですから、きっとこんな急坂なはずはありません。

・・・そう考えたのが誤りでした。

といったところで次回に続きます。

それでは皆さん、Have a nice day !