【ポタリング】Daytona DE01で東海道をポタリング:岡崎宿から浜松宿編④ 〜二川宿から浜松城でゴール〜

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皆さんこんにちは、シンです。

1月12日に行った東海道ポタリング記事その4です。
前回の記事はこちら。

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二川宿から白須賀宿まで

さて、ここまで順調に走行しているように書いていますが、実は大変だったんですよ。
藤川宿のあたりから右膝外側が痛くなり、赤坂宿のあたりで左のふくらはぎがつりました。

痛いなぁと思いつつもマクドナルドで休憩した時に、
「痛みを『つらい』と考えるからいけないんだ。」
「『うん、痛いよねぇ』と症状を受け止めて、その後の『つらい』という感情を消し去ればいいんだ。」
と自分に言い聞かせるようにしました。

そうしたらあら不思議。
さっきまで痛いよ〜つらいよ〜、と泣き言言っていた自分が嘘のようにいなくなりました。
確かに痛みは消えていません、でも幾分か痛みの感じ方が変わった気がします。
痛みに悩んでいる方、ぜひお試しあれ・・・ってダメですよ。
これが通じるのはゴリゴリの根性論がまかり通っていた昭和世代までです。

二川宿を越えた後、痛みのビッグウェーブがやってきました。
左脚全体がつった状態になってしまい、停車時に左脚をつくのも困難な状態に。
仕方ないので降車時は自転車が止まった瞬間にペダルからジャンプして両足着地という方法に。
これが一番足へのダメージが少ない方法でした(私的にはね)。
この時ばかりは二川で諦めて電車に乗るという手段を選ばなかった自分を責めましたねぇ、はい笑

経路で示すとこんな感じ。

【足の痛み出現ポイントのまとめ】

行程の9割は足の痛みを感じていたんですよね。
残り3分の1(静岡県内)は満身創痍でした。

原因は起きてから食事を摂るのが遅かったからではないか、前日からの睡眠が足りないからではないか、普段の運動不足がたたった、ペダリングが下手くそ、と言ったところでしょうか。
次回からはちゃんと予防しながらやらないといけないな、と反省しました。

ということで名所を楽しむなんて余裕があるはずもなく、ただただ一里塚だけ見逃さず写真に収める、それだけに集中して浜松まで向かいました。

【一里山の一里塚】

【道祖神さま】

一里山(細谷)の一里塚を過ぎるとそこは国境、やっと静岡県に帰ってこれました。
でもゴールの浜松城まではまだ25kmあります・・・

 

32番目・白須賀宿

【東海道五十三次 白須賀 汐見阪図】

【潮見坂から見た遠州灘】

今では人工物が多く見えてしまいますが、当時は見事な景観だったんだろうなぁと思います。

白須賀宿はこの潮見坂の北側にあります。

【白須賀宿本陣跡】

 

白須賀宿から荒井(新居)宿まで

白須賀中学校の脇を通って潮見坂に至り、坂を下ってしばらく走ると白須賀の一里塚跡があります。

【白須賀一里塚跡】

白須賀一里塚から新居宿までの間に松並木がありましたが写真に収められませんでした。
御油の素晴らしい松並木を見た後では見劣りしてしまいました。
でも現存するということは、それを維持する努力が今もなされているということ。
今度はちゃんと写真に収めますね。

 

31番目・新居(荒井)宿

【東海道五十三次 荒井 渡舟乃図】

当時と今では全く様相が違うのでこのような光景は見られません。
1400年代まではこの今切は陸続きになっていたのですが、地震により浜名湖と太平洋がつながってしまい、江戸の頃にはすでに上の絵のような状況になっていました。
この絵の右側が浜名湖で左側が太平洋、正面が新居宿で奥に見えるのが潮見坂のあたりでしょうね。

【新居宿棒鼻跡】

新居宿棒鼻跡のところにたい焼き屋があったので少し休憩、少しでもつった脚を休ませる作戦です。

【あんチーズのたい焼き】

しかしこのあたりから風も強くなり、体感的に寒く感じるようになったのであまり長居はしないようにしました。

 

新居宿から舞阪宿まで

新居一里塚跡はたい焼き屋さんのすぐ近くにあります。
一里塚跡がこの土地所有者の境にもなっているみたいですね。

【新居一里塚跡】

白須賀あたりから東西方向にあった東海道ですが、新居宿から舞阪宿の間で一旦北向きに進むことになります。

進んだ先にあるのは女性の検問が殊の外厳しいことで知られた新居関所です。

【新居関所跡】

ここでは女性のありとあらゆるところを厳重チェックしていたそうで、当時の女性はここを通過する(辱めを受ける)のが相当苦痛だったようです。
そりゃそうですよね。

そんな女性の救いとなったのがこの東海道ではなく浜名湖の北岸を通る「姫街道」です。
東海道と比べると起伏の激しい峠道となりますが、辱めを受けるよりマシです。
姫街道にも気賀関所が設けられていましたが、そちらの検問は新居と比べれば緩かったようです。

姫街道という名称の由来がそういうことだとは知りませんでした。
てっきりお姫様が海を渡るのは危険だから陸地で行けるルートが姫街道だと思っていました。
まあ「危険を回避」という意味では間違っていませんでしたが。

 

30番目・舞阪宿

【東海道五十三次 舞坂 今切真景】

西側から来ると、この図でやっと富士山が登場します。
しかし絵の左側は遠州灘なので、この絵は180°くらいの画角の絵になります。
そして正面に聳える急峻な山は一体どこ?
謎だらけの絵ですね。

舞阪宿のあるあたりってあまり行かないので知りませんでしたが、意外と宿場町アピールがされていました。

【舞阪宿脇本陣茗荷屋】

【見学もできるようです】

【舞阪宿本陣跡】

ここは一里塚跡も道を挟んで2ヶ所石碑がありました。

【舞阪一里塚跡(北側)】

【舞阪一里塚跡(南側)】

 

舞阪宿から浜松宿まで

もうここからは「足が痛い」、その感情9割5分でした。
残りの5分は「一里塚どこだ〜」です。

一里塚は残すところ2つ。
見落とさないようスマホで位置を正確に確認しながら進みました。

この区間にもきれいに保存されている松並木があります。

【交差点の向こうに松並木】

松並木を過ぎた先に篠原一里塚跡があります。
この区間が個人的には一番長く感じられました。
でも石碑はなく看板だけでちょっと寂しかったですね。

【篠原一里塚跡】

ここまで来れば浜松城まであとちょっと。
心配していた自転車のバッテリーも持ちそう。
万が一切れたとしても道は平坦なのでなんとかなります。

痛過ぎる足に頑張れと声援を送り、浜松城では「負けないで」からの「サライ」が流れて私のゴールを待ち侘びているはず。
そんな妄想が頭を巡るようになっていました。

そして最後の若林一里塚を発見。

【若林一里塚】

よし、これであとは浜松城に行けば終了だ。
そして無事(なのか?)浜松城にゴールイン!

【浜松城、キレイになってない?】

よく頑張ったなぁ、俺の脚と DE01よ。
労いながら走行ログを終了させようとApple Watchを操作しようとすると・・・死んでる。

こいつも頑張ってせっせと働いてたのに、何も言わずに気づかれることなくバッテリー切れしていました。

でも後で調べたら残り1.4kmってところでした。
若林一里塚までは頑張って生きてたんですよ。
ああ、一緒にゴールしたかったなぁ(最後までログ取っといて欲しかったなぁ)。

何はともあれ予定していたルートを完走できたので良しとしましょう。

 

働かざるもの食うべからず

無事ゴールしたあと家に帰り、といきたいところですがこの日はカミさんが仕事。
平日休みの私が夕食当番の日です。

「足痛いから夕食作れない」

言えないです。
家に帰る前にスーパーに寄り、夕食のおかずの食材を買ってから帰ります。
この時には足の痛みが頭痛と吐き気と悪寒まで引き起こしていました。
(家に帰って体温測定しても平熱でしたけどね)

で、まずは米を研いで炊飯器セット。
次にお風呂を洗って湯沸かし開始。
お次にレンコンを切って、鶏もも肉と調味料一緒にラクラ・クッカー(電気圧力調理鍋)に突っ込んで圧力調理開始!

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その間に冷えた体を温めるべく入浴。
この電気圧力調理鍋、圧力で調理時間が短くなる「時短」だけじゃありません。
調理中にキッチンから離れることができるので、このようにその待ち時間で入浴とかもできちゃんうんです。

で湯上がりにちょうど調理完了。
生活トータルで「時短」なんですよね。

【蓮根と鶏肉の甘辛煮、右は牛すじ肉煮込み】

こいつは思っていたよりも便利な道具で、購入してからほぼ毎日使っています。
これがなかったら脚が痛いとかとは別次元の修羅場が襲ってきたと思うと・・・
うん、よかった。

それでは皆さん、Have a nice day !