【ポタリング】Daytona DE01で東海道をポタリング:岡崎宿から三条大橋編 Vol.7 〜亀山宿〜

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皆さんこんにちは、シンです。

東海道ポタリング旅【岡崎宿〜三条大橋編】2日目、今回は庄野宿を通り過ぎたあたりから亀山宿に到着して宿泊、3日目スタートあたりまでを記します。

庄野宿から亀山宿の間には2つの一里塚がありました。
どちらも大きく目立っていたので見落とすことなく確認することができました。

中冨田一里塚跡

川俣神社の境内にある中冨田一里塚跡。ここが亀山藩と神戸藩の境界となっていた。

和田一里塚跡

一部残っていた和田の一里塚は昭和59年の道路拡幅工事によって消滅した。現在あるのは本来の場所から少しずらしたところに復元したもの。

46番目・亀山宿

歌川広重 東海道五十三次之内 亀山 雪晴

亀山城多聞櫓。広重の描いた亀山城はこの多聞櫓だろうか。三重県内では唯一の現存する城廓建築物であり、非常に貴重なものである。

和田一里塚から向かってくると旧東海道は下の写真の位置で直角に折れます。
ちょうどこの辺りが亀山宿の東の入り口、「江戸口門跡」になります。
これでこの日の目的地に着くことができましたので一安心です。

亀山宿江戸口門跡。右側の木のあたりに説明の看板がある。


ここでワークアウト終了。
当初の予定では60kmでしたが道を間違えて戻ったり、クネクネ走ったりしているので15kmも多く走りました。
通りで膝が痛いわけです。
それでも自転車もAppleWatchもバッテリーが持ってよかったです。

2日目の走行ログはこの通り。1日目同様ゆったりペースで走ったので体力的には問題ない。

亀山宿跡地巡り
ホテルに行くには時間が余っているので少しだけ跡地巡りをしました、と言っても本陣だけではありますが。

江戸口門跡から亀山城に向かう道。亀山市の現在の中心となっているのはこの写真の左方向に下った低い土地の方。こちらは丘陵地帯に位置する。

樋口本陣跡は現在児童クラブとなっていて、子供たちの楽しげな声が響いていた。

宿場の跡地ではありませんが亀山城の敷地内に建てられた小中学校のデザインが素晴らしかったです。
樋口本陣跡から西へ向かい、亀山城多聞櫓の手前に亀山市立亀山西小学校があります。

亀山西小学校は本丸のあった場所に建てられている。学校周囲がこの「城壁」に囲まれていて、まさに本丸のようであった。

そして多聞櫓東側の急坂を下っていくと今度は亀山市立亀山中学校があります。

亀山中学校のこの建物は校舎?木材が使われている壁、瓦葺きの屋根が美しかった。

やはり城下町はいいですね。
ちなみに京の都の北西方向にも亀山城があり、区別するために丹波亀山城、伊勢亀山城と呼んだようです。
丹波亀山城の天守破却の命令が出た際、その担当だった堀尾忠晴は何を勘違いしたのか伊勢亀山城の天守をぶっ壊すという大失態を犯してしまいます。
この残念な堀尾忠晴ですが、祖父の堀尾吉晴は超デキる男でした。
徳川家康が関東移封した際に徳川旧領には駿府・中村一氏、掛川・山内一豊、吉田(豊橋)・池田輝政、岡崎・田中吉政と、豊臣家の実力者たちが配置され、浜松城主に任命されたのが堀尾吉晴でした。
まあこの面々は関ヶ原の時には皆東軍につくわけですが、戦国の世を生き抜いた強者どもは時流の読みも一流であったということでしょう。
現存12天守であり国宝5天守でもある、あの威風堂々とした松江城の築城もこの堀尾吉晴ですからね。
堀尾家は破却天守取り違えの翌年に忠晴が死去、後嗣が認められず改易となります。
堀尾家を通じてここ伊勢亀山が私の住んでる浜松とつながり、さらには松江まで。
歴史って面白いですね。

宿泊ホテルに到着

この日予約を入れていたホテルはこちら、ホテルエコノ亀山です。
改修工事中で覆われていたので外観は分かりませんでした。
チェックイン予定時刻より早く到着してしまいましたがチェックインすることができました。

今回利用した部屋。窓からの景色は覆いのためさっぱり分からず。

さすが亀山市、部屋のテレビはSHARP製だった。

夕食の時間帯に行くと混むかもしれないので早めに食べることにしました。
ホテルエコノ亀山に宿泊すると決まってから周辺を調べて、行きたいと思ったお店がこちらのお好み焼き屋「栄」です。

APAホテルの近くにあるお店。

こちらのお店は席の鉄板で店主が焼いてくれるスタイルです。
待ってる間に我慢できなかったのでビールを注文。
冷蔵庫から持っていってね、栓抜きもね、って感じでセルフなところもいい感じです。
ビールはアサヒとキリンだったかな?久しぶりにキリンラガーを飲みました。
ビールは缶より瓶の方が美味しいですね。

鉄板にはビールが一番似合う。

ちなみにお好み焼きは大盛りを注文しました。
まあいっぱい自転車漕いだからこれ位食べて飲んでも文句はないでしょう。(誰から?)
鉄板の上なのでずっと熱々の状態で食べることができました。

フワフワでとても美味しいお好み焼きだった。また亀山に行くことがあれば迷わずこのお店に行きたいと思う。

このあと軽食とお菓子を買いにコンビニへ行きました。
そこで私の前に並んでいたおじいさん、商品をレジに持って行ったはいいのですが持ち金が足らずつまみを諦め、それでも足らず今度は酎ハイ2本を諦め、ってちゃんと計算して買い物しなさいよ、コンビニよりスーパーで買った方が安いですよ、と。
この後、天気予報通りに夜には雨が降り出しました。

2024年2月15日

3日目の朝を迎えました。
しっかり寝ることができたので体力も回復です。

朝食は前日の名鉄インと似た内容、可もなく不可もなく。でもビジネスホテルの朝食ビュッフェには魅力を感じてしまう。

こちらのホテルはコーヒーがフリーサービスだったのがとても嬉しかった。出発時にはボトルに入れて持っていくことができた。

朝食も摂ったので出発です。
この日は峠越えもあるのでタイヤ空気圧調整と入念な準備をしました。
そのために携帯エアポンプ買いましたし。
このポンプ、なかなかいいです。

一応足で踏んで抑えるプレート付きだから踏んでみたが、普通に手で抑えて入れた方が早いし楽であった。

ホテルの前にて。地面は濡れているが雨は止んでいた。

亀山宿跡地巡りその2
まずは前日ゴール地点の江戸口門跡へと向かい、そこから本日のスタートとします。

江戸口門跡からスタート。東海道は白いクルマの方である。

亀山城多聞櫓の坂を下って城跡の南方向に行くと亀山藩石川家家老・加藤家屋敷跡と旧舘家住宅というのが見どころのようでした。
この辺りは写真を撮るだけで。

漆喰の壁で囲まれた加藤家邸跡。無料公開されているようだ。

旧舘家住宅。明治6年に建てられたそうなので比較的新しい?いやいやそれでも150年前である。

何もない道路ですがここが亀山宿の西の出入り口、京口門跡です。
しかしその後も古い街並みを感じさせる建物が続いていて、宿場町の門の外にも町は広がっていたのですね。

京口門跡。亀山城から見ると下坂なので、京方面から来た人はそびえ立つ亀山城を眺めながら登ったのだろう。

亀山宿の次は関宿、東海道中で最も古い町並みが残っている宿場になります。
そしてその後は鈴鹿峠越えが待っています。
一旦雨は止みましたが天気も不安定なのがちょっと心配ではあります。
それでは皆さん、Have a nice day !