【ポタリング】Daytona DE01で長篠・設楽原の戦いの地を散策 Vol.3 〜華々しく散った武将たちの墓参り〜

 当サイトにはプロモーション、広告が含まれます

皆さんこんにちは、シンです。

Daytona DE01で長篠・設楽原ポタリングの続きです。

前回記事はコチラ↓

www.mountain-camp-cycling.com

で、前回の記事までは武田軍は不利な状況と分かっていても一縷の望みにかけて戦った(そして散った)、といった感じで書きました。
武田家はこの敗戦により滅亡へ向かって一気に転げ落ちる、そんな印象ありません?

でも武田家はその後7年間大名として存在しているんですよね。

長篠・設楽原の戦いというのは「さあ今から織田・徳川タッグが最強騎馬軍団の武田をここ『シタラガハラフィールド』に迎え入れ、世紀の大決戦を行います!果たして勝利の女神はどちらに微笑むのか!?」といった特別感のあるものではなく、奥三河地域の支配権の奪い合いだったのでしょう。

多分戦国時代の戦いってどれもそんな感じなんだと思います。
後世の人間がそれをドラマチックに仕立てているのだと。
刑事モノ・教師モノ・医療モノのドラマが大袈裟に演出されていますが、実際は淡々とこなす地味な仕事、それと同じかな、と。

 

さてそんな設楽原の戦いで武田軍は信玄の頃より使えていた有能な家臣を多く失うことになりました。

武田四名臣と言われた山県昌景、馬場信春、内藤昌豊、そして土屋昌次、真田信綱・昌輝兄弟といった超有名人、そして他にもたくさん戦死してしまいました。

ゲームの「信長の野望」をやっていて、これだけの実力者を一気に失ったらもう戦意喪失、凹んじゃいますよ。

そんな方々のお墓をお参りしてきました。

 

山県昌景

【山県昌景の墓】

武田最強の戦士といえば山県昌景でしょう、やっぱり。
黒漆の甲冑が主の武田軍の中で赤漆の甲冑を纏ったむちゃくちゃ強い部隊「赤備え」を率いていたのが山県昌景。
赤い軍団を見ただけで相手は戦々恐々してしまう、それほど強かったそうです。
当の本人は身長130〜140cmほどの小柄な人物だったようです。

【赤い甲冑】

【山県昌景の墓の前は主戦場】

 

土屋昌次

【土屋昌次の墓】

土屋昌次は信玄子飼いのエリート中のエリートで、殊の外可愛がられていたようです。
出世も早く特別扱いを受けている感じもしますが、それだけの実力も兼ね備えた傑物で、三方原の戦いで大活躍しました。

設楽原で戦死した昌次には子がいなかったので、弟の土屋昌恒が跡を継ぎました。
昌恒は天目山で武田勝頼が自害する時間を稼ぐために、孤軍奮闘した「武田家最後の家臣」です。

その子の土屋忠直は徳川四天王の井伊直政に仕え、1602年に上総国(千葉県)久留里藩を治める大名家になりました。

誰に仕えていたとしても忠臣であることは、「再就職」において非常に有利だったようですね、戦国時代は。
簡単に主君を裏切るような武将の末路はだいたい惨めなものです。

 

真田信綱・昌輝兄弟の墓

【真田兄弟の墓】

真田というと「真田幸村」「真田十勇士」を思い浮かべるのは昭和世代でしょうか。
今では真田幸村より真田信繁で書かれることの方が多いですね、って信繁が本名だからそりゃそうか、と。

でその信繁の父が昌幸で、信州上田で徳川軍を二度も翻弄させた策士。
その父(信繁の祖父)の幸隆もまたとんでもない策士な訳で、真田というと一癖も二癖もある、そんなイメージの家柄です。

真田を継いだのは昌幸ですが、それは幸隆の嫡男の信綱と二男の昌輝が設楽原で討死したから、三男の昌幸が跡を継ぐことになったのです。

真田は策士、の印象ですがこの信綱・昌輝は剛勇の将だったらしく、昌幸も信繁には亡くなった兄のように強い武将になって欲しいと願っていたようです。
その願いは実現して、大坂の陣での信繁の獅子奮迅の活躍は「日本一の兵」と称されました。

 

馬場信春の墓

【馬場信春の墓】

山県昌景と無双を誇った武田の猛将で、70回を越える戦いに参加しても傷一つ負わなかったことから「不死身の鬼美濃」と評されていたそうです。
ゴールデンカムイの「不死身の杉元」みたいです。
あ、あちらは全身傷だらけでしたね。

設楽原でも60歳にして尚大活躍、まだ無傷。
しかし敗戦が決定的になると勝頼を逃すべく殿を務め、無事勝頼の姿が見えなくなるのを見届けてから討ち死にしました。
なので馬場信春の墓は設楽原ではなく長篠城近くにあります。

【馬場信春の墓は大樹に守られている】

戦いは負けて主家はその後滅びる運命を辿るのですが、最期まで義理を通し主君にお仕えした英雄のお墓には死後400年以上が経ってもお供物が置かれていました。
そこは生まれ故郷でもないのに。

古戦場には勝者の歴史と表裏一体で敗者の歴史もあり、双方の視点から眺めると一つの出来事は単純に言い表せられないな、と感じます。
それだから歴史探訪は楽しいな、と。
その史跡を自転車でまわると、なんとなく肌身で感じられている気がして、より一層楽しめます。

それでは皆さん、Have a nice day !