【登山】食べたら運動で倍返しだ!鳳来寺山登山 Vol.1 〜鳳来寺・鳳来山東照宮参拝〜

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皆さんこんにちは、シンです。

今回は久しぶりに登山をしてきました。
その前はいつ登ったっけ?と記憶を辿ったら夏の福島旅行での安達太良山でした。

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登山前に糖質を摂取するといい

ダイエット中ですが前日夕方は職場の軽食付き研修でカツサンドをいただき栄養補給。
登山とかする前日に糖質をしっかり摂るとバテにくいんだそうです。

これ、カーボローディングというテクニックで、1週間前から糖質を断ち(減量し)、肉・野菜を食べるようにします。
そして3日前から反転して高糖質の食事に切り替えることで、通常の2、3倍多い糖質を体に蓄えることができ、行動中のハンガーノック(シャリバテ)のリスク軽減ができます。

でもこれは適正体重で体脂肪少ない人向けであって、脂肪たっぷりの人が「シャリバテだぁ〜」って言っても、「それ単に糖尿病なんじゃないの?」と疑われるだけです。(私個人の主観的意見で、科学的な裏付けはありません)
なので前日にカツサンドを食べたのは・・・食べたかったから笑

登山をすると決めたのもその研修中です。
「カツサンド食べちゃったしなぁ、ダイエット中なのに。」
「そうだ山、行こう(JR東海)」 

てな具合です。
そうです、別にカーボローディングのためではなく誘惑に負けて食べてしまったんです。
登山のきっかけは罪滅ぼし、です。

 

登る山は「鳳来寺山」に急遽決定

当初予定していたのは「平山明神山」です。
このあたりで明神山というと奥三河の盟主「三ッ瀬明神山」をさすことが多く、平山明神山はマイナーな存在です。
しかし周囲の岩古谷山、大鈴山、鹿島山の4つのピークを結んで1周できるルートは岩場、鎖場があり、とても登りごたえのあるルートです。

そこに行く気満々だったのですが、久しぶりの登山しかもオーバーウェイト状態、膝痛の爆弾あり、と不安要素がいっぱい。

で、向かう途中に右手に鳳来寺山が見えました。

「そうだ鳳来寺、行こう(JR東海)」

急遽目的地変更、設定したナビの行き先は解除です。

 

鳳来寺・鳳来山東照宮とは

鳳来寺は702年に利修仙人によって開山し、文武天皇の病気平癒祈願に利修仙人が鳳凰に乗って参内したことが寺名の由来とされています。

江戸時代に入ると鳳来寺が神君家康公のゆかりの寺であると知った三代将軍徳川家光により東照宮が造営されました。
当時の鳳来寺は非常に栄えていて、遠州の秋葉山と並んでこの地域で鳳来寺参拝の人気があったようです。
今では紅葉の時期を除けば閑散とした静かな場所で、全国的な知名度はない(はず)です。
唯一、野鳥好きの人なら「ああ、ブッポウソウ(コノハズク)で有名なところだよね。」と答えられるかもしれません。

ちなみに山名は「鳳来寺山」、お寺の方が先だったのですかね。

 

実は日本三大東照宮?

この鳳来山東照宮、実は「日本三大東照宮」のひとつでもあります。
しかし世の中の「三大あるある」は東照宮にも当てはまります。

日光東照宮、久能山東照宮は不動の地位であるのは明らかですが、問題は最後の一枠です。
候補に上がるのは以下の6つ

  • 滝山東照宮(愛知県岡崎市)
  • 世良田東照宮(群馬県太田市)
  • 仙波東照宮(埼玉県川越市)
  • 上野東照宮(東京都台東区)
  • 金地院東照宮(京都府京都市)
  • 鳳来山東照宮(愛知県新城市)

三大〜というのは後世の「勝手にランキング」ですから。
最後の一枠ぐらい自由で曖昧な方がいいのかもしれません。

徳川家康を東照大権現として神格化することと東照宮の建立については朝廷の許可が必要なんですが、その交渉をしたのが今川直房という人物で今川氏真の孫です。
大名としての今川家を滅亡させた徳川家康のために奔走したというところから、その後の今川家と徳川家の関係性は決して悪くなかった(むしろ良好だった)のでしょう。
今川直房はその働きが評価されて幕府高家職につきます。
高家は大名ではありませんが品格としては大名より高く、与えられる官位も大名家より格上でした。

 

入り口にある仙千代の墓

県道32号から鳳来寺表参道が始まっていて、その起点となる場所に「笠川駐車場」があります。
こちらは無料で停められ、きれいなトイレもありますので登山者に優しい駐車場です。

 

この脇に「奥平仙千代の墓」があります。
誰だ?と思ったら、奥平信昌の弟でした。

 

武田家に従属していた奥平氏は信昌の妻・おふうと弟・仙千代を人質に出していました。
しかし時の流れを見て徳川家に従属先を変更したことにより、おふうと仙千代は処刑されました。
その仙千代が処刑された場所がここだということですね。
そして奥三河の支配権を争う形で長篠の戦いへと発展していきました。
歴史がつながります。

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鳳来寺山の登山開始

ではここからスタート!
山腹にある鳳来寺までしばらくはアスファルトで、途中から石段の参道です。

 

この先にも無料駐車場がありますので、できるだけ近くからスタートしたい人はこちらが良いでしょう。
多分無料のはずです、有料だったらごめんなさい。

 

これより先は有料駐車場となります。

鳳来寺は硯が有名なようです。
身延あたりが有名なのは知っていましたが鳳来寺は知りませんでした。

 

ルートの半分は石段

ここから1,425段の石段となります。
鳳来寺山登山の半分は石段と言って良いでしょう、山に登るというのか参拝するというのか。
まあいいか、日本の登山と山岳信仰は切っても切れない関係ですから。

 

しばらく登ると朱色の門が見えてきました、仁王門です。
こういう煌びやかな建物を見ると立派な寺社なんだなぁ、と感じられます。

 

仁王門の先に巨木が並んでいますが一層太い杉の木が1本あります。
傘のような形ということで「傘杉」と名付けられていますが・・・柄が長すぎ笑
それにしても真っ直ぐです。

 

参道には〜院跡がいっぱい

石段の両脇には〜院跡、〜坊跡が立ち並びます。

 

建物が現存するものとして松高院、医王院がありますが、医王院は老朽化が激しく立ち入り禁止となっています。

松高院は山門も残っている。中にはお賽銭箱も置いてあったので参拝できるのかな?

 

医王院もかろうじて建物が残っているがいつ倒壊してもおかしくないぐらい老朽化が目立つ。

 

そして〜院跡は数えたところ10ヶ所ありましたが、実際には〜院は14あったようなので2つ見落としたか看板がなかったかですね。
〜坊跡は6ヶ所ありましたが、こちらも実際は7ヶ所あったようです。
〜坊は僧坊(房)といって、僧侶が生活する建物を指します。

宗派は真言宗と天台宗ですが、明治以降は真言宗に統一されています。

そんな跡地の中で一番広かったのが岩本院跡です。
こちらには「竜の爪あと」と呼ばれる岩や「胎内くぐり」があります。

 

胎内くぐり、この隙間から入るのは難しそうです。

 

でも安心してください、少し回ると脇穴があります。


そこから中に入ると小さな石像が祀られています。
でもちょっと怖いです。
シャッターを押す手が震えました。

 

鳳来寺本堂と井伊直政

石段を登った先に鳳来寺本堂が現れます。
後の露出した岩は鏡岩と呼ばれる巨岩です。

 

こちら鳳来寺は徳川四天王の井伊直政とゆかりのある寺です。
虎松(直政)の父・直親が今川家に謀殺され、虎松の身にも危険が迫ったところ、井伊直虎が殺生禁断の地である鳳来寺に虎松を避難させました。
そのおかげで殺されることなく鳳来寺で武将として教養を学び、徳川家に士官して出世していきます。

 

本堂の隣には休憩処があってアイスクリームも売っているようです。
戻ってきた時のご褒美に取っておきましょう。

 

鳳来山東照宮も参拝

鳳来寺の隣には鳳来山東照宮があります。
せっかくなので日本三大東照宮の一つを参拝します。


ここでお賽銭箱に小銭を入れようと財布を開いたところ、所持金が200円程度であることに気付きました。
PayPayばっか使っているから。
ご褒美のアイスクリームが遠退いてしまいました。

社務所の横に登山道があるので、社務所を回るように歩き登山道へと向かいます。
坂道を登りながら鳳来山東照宮の本殿を眺めます。

 

ここからが本格的な登山道となります。
といったところで続きにします。

それでは皆さん、Have a nice day !