皆さんこんにちは、シンです。
東海道ポタリング旅【岡崎宿〜三条大橋編】は2日目に突入です。
2日目は亀山宿まで移動しましたが、今回は宮宿(名古屋)から桑名宿までを記します。
2024年2月14日(水)
外は雲一つない快晴、気温も上がるようですがそれでも朝はまだ冷えていたので防寒対策は入念にします。
ちなみに名鉄イン名古屋金山には数は多くないですがコミックコーナーがありました。
これはとてもありがたいサービスですね。
おかげでちょっと夜更かししてしまいました。
朝食はビュッフェ形式。
食べ過ぎて漕ぐどころじゃなくならないよう、控えめに2巡で打ち止めにしました。
7時25分、ホテル前で自転車を組み立てて昨日のゴール地点の宮の渡し公園まで移動します。
当時東海道は宮の渡しから桑名宿までは海路でしたので陸には存在していなかったはずです。
しかしGoogle Mapを見ると「東海道」と書かれている道があります(東海通というややこしいのもある)。
これは海路ではこの辺りを通っていた、ということでしょうか?
詳細は分かりませんが書かれている以上は一応通っておきます。
平日のこの時間はちょうど通勤・通学ラッシュでバスに並ぶ人の数とか交通量は浜松の比ではありませんでした。
毎日この調子なんですよね。
都会は大変だなぁ、私には到底無理だなぁ、と思いながら見ていました。
名古屋でこれだから首都圏は・・・。
国道23号に合流して少し進むと尾張国と伊勢国の境に到達。
狭い・小さいと思っていた愛知県も自転車で移動すると広く感じます。
その先には赤い橋が見えてきます。
ここは木曽川河口、遠くにナガシマスパーランドも見えます。
橋を越えてすぐ北側に「七里の渡し」に関する石碑がありました。
そしてもう一つの赤い橋の登場、今度は揖斐川・長良川です。
この木曽三川が広大な濃尾平野を形成し、この地域を豊かさをもたらしました。
42番目・桑名宿
歌川広重 東海道五十三次之内桑名 七里渡口
七里の渡し跡
揖斐川・長良川を越えて北に進み、桑名側の七里の渡し跡に到着。
ここから桑名宿です。
なんでこの宿場の間が船だったんだろう?と思っていましたが、木曽三川を越えるのが大変だったからですね。
一気に船で渡ったほうが手っ取り早い、そう考えたのでしょう(きっと)。
伊勢国一の鳥居
七里の渡し跡には大きな鳥居があります。
この鳥居、まだ距離はありますが伊勢の神宮の鳥居なんです。
ここが神の国・伊勢の入り口だ、と。
さすが日本一の大社、スケールが違います。
桑名城跡(九華公園)・本多忠勝像
本州は敦賀〜桑名でくびれていて、桑名は南側の要衝地であり、ここの防衛強化は重要事項でした。
そこで関ヶ原の後に桑名を任されたのが徳川四天王最強の漢・本多忠勝です。
北側の越前を守ったのは家康の頼れる次男・結城秀康、中央の彦根は徳川四天王・井伊の赤鬼こと井伊直政。
勇猛なこの3人をくびれの南北・中央に配置して鉄壁の布陣を敷きました。
桑名宿跡地巡り
ちなみに桑名宿の本陣と脇本陣は立派な鳥居があった近くにあったようで見落としてしまいました。
ここから少し南に行って直角に西へ曲がって進んでいくと矢田立場に辿り着きます。
この辺が桑名宿の出入り口、といった場所になります。
桑名宿を抜けたら次は四日市宿です。
それでは皆さん、Have a nice day !