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クレソンジャーニーで旅するブログ

苗木城跡(岐阜県中津川市)

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苗木城(別名 霞ヶ城・赤壁城)

概要

続日本百名城

2017年に財団法人日本城郭協会が認定。岐阜県では他に郡上八幡城、美濃金山城、大垣城が認定されている。

苗木城の歴史

遠山正廉によって1532年頃(天文年間)に築城された。その後の城主・遠山直廉の娘(龍勝院)は織田信長の養女となって武田勝頼の正室として嫁ぎ、嫡男・信勝を産んだ。1583年(天正11年)に兼山城主の森氏の侵攻により落城、城主の遠山友忠・友政親子は徳川家康を頼り浜松へ落ち延びた。苗木城には城代として河尻秀長が入った。1599年(慶長4年)に森氏は信濃川中島に移封となったが河尻秀長はそのまま残り苗木城主となる。
1600年(慶長5年)の関ヶ原の戦いにおいて徳川家康の元へ逃げていた遠山友政が河尻秀長から苗木城を奪い返した。この戦功が認められ遠山氏は苗木に返り咲き、以後幕末まで苗木藩主として治めた。

苗木城にまつわる話

赤壁伝説

苗木城の壁は白漆喰ではなく赤土がむき出しになっていたと伝えられている。どうやら木曽川に住む龍が白色を嫌い、何度漆喰を塗り直しても龍が嵐を起こして剥ぎ取ってしまうから、というもの。
しかし実情は小規模な苗木藩の財政状況では漆喰を塗る費用が捻出できず、赤土がむき出しのままだったのだろう。

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【こんな感じだったらしい】
最小の城持ち大名?

苗木藩の石高は1万石程度、その石高で城を持っていたのは唯一と言われている。藩の財政が厳しいことは領民も知っており、一揆も起きなかったという。

 

苗木城跡を実際に散策して見所を紹介

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【苗木城の縄張り図はこんな感じ】
足軽長屋跡

竹門すぐ西側の上段の平地には、表方の足軽が出勤した時に必ず立ち寄る足軽長屋があった。足軽達はまずこの長屋に立ち寄り、その後場内のそれぞれの係り役所へと出向いた。ここには小頭部屋、稽古場など3、4棟の建物があった。

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【出勤した時に立ち寄る場所、足軽もサラリーマン】

この足軽長屋からの眺めが素晴らしく、冒頭の写真はここから撮影したもの。本丸展望台越しに恵那山を拝むことができる。

風吹門(かざふきもん)跡

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【写真中央に門があり、立て札付近に門番所があった】

2階が「飼葉蔵」として使われていた風吹門は大手門とも呼ばれ、城下から三の丸への出入り口だった。門の南側に門番所が併置され、昼夜を問わず人の通行を監視していた。城主在城時は開門していたが、江戸詰めで留守の時は閉め切られ、潜戸が利用されていた。

大矢倉跡

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【綺麗に方形の石垣が残っている】

大矢倉は17世紀中頃に造られた。石垣を高く築き立て、4m×6m程の3階建てで苗木城で最も大きな櫓であった。1階は三方を石垣で囲まれ、倉庫として使われていた。2階、3階の壁には矢狭間が設けられており、北側の防御を担っていた。

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【大矢倉跡からの本丸の眺め】
大門跡

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【ここに苗木城で一番大きな門が置かれていた】

苗木城の中で一番大きな門は2階建てで、三の丸と二の丸とを仕切っていた。門の幅は二間半(約5m)程で2階部分は物置に利用されていた。領主の江戸参勤の出立時などの大きな行事以外は開けず、普段は潜戸を通行していた。

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【苗木城の特徴である石垣と一体となった巨岩】
御朱印蔵(ごしゅいんぐら)跡

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切石できっちりと積まれた石垣の上に建てられていた御朱印蔵には、将軍家から代々与えられた領地目録や朱印状など重要な文書や刀剣類が納められていた。これらの収蔵品の虫干しは年に一度必ず行われ、蔵への出入りには梯子が使用されていた。

坂下門(さかしたもん)跡

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この門は礎石と手前の石段が現在でも状態よく残されている。坂道の下にあったため坂下門と呼ばれていたが、別名の久世門は三代領主友貞の奥方の実家で、苗木城改修の際に力添えをした徳川家譜代の名家、久世家の名から来ていると伝えられている。

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【坂下門横の巨岩をパノラマ撮影】
千石井戸(せんごくいど)・本丸口門(ほんまるぐちもん)跡

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【千石井戸、今でも水が湧き出ている】

苗木城内の井戸で一番高い場所に位置するこの井戸は、高所にもかかわらずどんな日照りでも水が枯れることがなかったと伝えられており、千人の用を達するということから千石井戸と名付けられた。
千石井戸の西側にある本丸口門は本丸と二の丸の境となる門で、総欅で建てられていたことから欅門とも呼ばれていた。
千石井戸の北側には懸造りの小屋が並んでおり、渋紙蔵、山方蔵、郡方蔵などがあった。

武器蔵(ぶきぐら)跡・具足蔵(ぐそくぐら)跡

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【整然と並んだ礎石が残っている】

武器蔵は約16m×6m程の土蔵で建物の長さから別名八間蔵といった。遠山怪我所蔵していた鉄砲や弓などの武器類が納められていた。現在でも礎石や縁石が往時のまま残されている。
具足蔵は本丸口門から見て右側の崖上にあり、約5m×6m程の建物であった。ここには領主の具足や旗が保管されていて別名を旗蔵とも呼ばれていた。

本丸跡

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【恵那山と木曽川】

本丸天守台跡には展望台が設置されており、眼下には木曽川と中津川市街地、そして東濃一高い恵那山と抜群の眺望が楽しめる。

漆喰も塗れず掘建て小屋のような城であっても、城を持つということは領主にとって重要な意味があったのであろう。城の縄張り自体はコンパクトであるが小藩で懸命に維持していたことを想像して、この苗木藩が何だか愛おしい存在になった。

今回は二の丸、八大竜王大神方面は通行止めで行くことができなかったので、そちら側が通行できるようになったら再度来訪したい。

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【柿をついばむメジロ】

苗木跡へのアクセス、観光情報

所在地

〒508-0101 岐阜県中津川市苗木2897番地の2

電話番号

0573-66-8181(苗木遠山資料館)

URL

https://www.city.nakatsugawa.lg.jp/kanko/index.html (中津川市観光情報サイト)

https://www.city.nakatsugawa.lg.jp/museum/t/index.html (苗木遠山資料館)

開館時間

9:30〜17:00(最終入館は16:30)

休館日

毎週月曜日は休館日(月曜日が祝日等にあたる場合はその翌日)
12月27日〜1月5日

入館料

330円(中学生以下は無料)