2022GW 滋賀旅行の思い出④「彦根城」

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皆さんこんにちは、シンです。

今日の“シン”記録はGW滋賀旅行の思い出4回目、彦根城についてです。

【国宝・彦根城】

井伊家の彦根城

今旅一番の目的は彦根城を見ることでした。
地元のスーパースター、井伊直政の出世の証を見たかったからです。(直政は築城前に亡くなられていますけどね)

彦根城、小学校低学年時に来たことがありますが、その時は「なんか平べったい城(天守)だな〜」程度にしか思いませんでした。
でもある程度知識がついて訪れてみると、いやはや、何ともすごい城です。
ざっと見て写真に収めたところを紹介します。

中堀

【中堀越しの天守】

彦根城の外郭を成すこのお堀が中堀、と言うことは当時はさらに外堀があったわけですね。
地図をみると何となく外堀があったんだろうな〜という跡が感じられます。

【こんな感じで外堀があったようですね】
内堀

【これまた広い内堀】
大手門橋と桝形

【内堀に架かる大手門橋】

大手門の手前にある大手門橋を渡ると枡形となっていて、直角に曲がると大手門です。
この時点で四方八方から集中攻撃、先に進める気がしません。
(そもそもここに辿り着くためには三の丸、二の丸を攻略しないといけません)

大手門

【この石垣の間に門があったんですね】

ここに大きな門があり、門の上から両脇にかけて櫓があり。
鉄砲バンバン、弓矢がピューピュー、さらには石つぶてです。

彦根城は一回も戦うことなく平和な時代に存在したお城です。
これほどの防御力を誇ると攻め手は力任せの策は取らず、包囲して兵糧攻めしか手段はないでしょう。
でも彦根城は琵琶湖に面しているので水路から支援物資を城内に届けることができてしまうんですよね。
そうこうしているうちに援軍到着、攻城側は挟み撃ちでジ・エンドです。

もし幸運(不運?)にも先に進めたとしましょう。

大手山道

【道の先には恐怖の櫓が】

大手門を越えた先を右に折れると天守に向かう大手山道です。
徐々に勾配がきつくなり、ゼエゼエしてしまいますが見上げると聳え立つ櫓が・・・。
撃ってくださいと言わんがばかり状況です。

廊下橋と大堀切

【先に行くにはあの橋を渡るしかない】

彦根城は彦根山の南北に走る尾根上に築かれています。
そのままでは尾根伝いに攻められてしまうので、尾根を削る「堀切」と言う防御構造にします。
本来は写真中央の窪地(橋の下)はなく、つながっていました。
しかし堀切とすることで左の櫓を越えるためにはこの高い石垣を登るしかありません。

「橋があるじゃん?」
と思うかもしれませんが、それは罠です。
有事となればその橋は落としてしまいます。
先に行くにはやっぱり石垣を登るしか方法はありません。
登れます?この石垣。
登ったところで垂直の漆喰壁ですよ。

天秤櫓

【廊下橋から見た天秤櫓】

天秤のような形だから天秤櫓、そのままです。
これは長浜城を移築させたんだそうです。
天秤櫓内も開放されていたので入ってみました。

【正面の小高いところが佐和山】

天秤櫓の反対側の場所を鐘の丸と言うんですが、そこの石垣は佐和山城の石を持ってきて使っています。

太鼓門櫓

【これを越えれば天守はすぐそこ】

この門・櫓もどこかの城から持ってきたそうですが、どこから持ってきたかは定かでないようです。
この門も通路から大きく折れ曲がっているので、攻め手は守り手に取り囲まれた状況で門を壊さなければいけません。
どう考えても正攻法での攻略は無理ですね。

天守・本丸

【ついにラスボスとご対面】

彦根城の天守は大津城を持ってきたそうです。
とにかく近江の城を寄せ集めて造ったのが彦根城。
使わない城を放置していたら危険(敵に乗っ取られる可能性あり)なので取り壊すのですが、何をするにも手作業の時代です。
資材を無駄にしないで使い回していました。
それによりコスト削減、工期の短縮が計れるといったメリットがありました。
そうやって使いまわしていたため、彦根藩には彦根城しかなかったようです。
それが結果として徳川家筆頭の井伊家(彦根藩)が「一国一城令」の手本を示す格好となったそうです。

この天守、外からではわかりませんが矢狭間・鉄砲狭間だらけです。
悠長に眺めていると狙撃されてしまいます。

【さてどこから侵入しようか】
天守内部

幸いにも天守内への侵入口は開放されていて、熱を測って手指消毒すれば「通ってよし!」と許可が降ります。
ただし土足厳禁です。

注意すべきは急勾配の階段、せっかくここまで攻め上ったのに、階段で滑って転落したら全てがパーです。

【気をつけてね〜】

天守最上部からは360°見渡せます。
北東に伊吹山があり、北国街道と中山道方面を把握できます。
西側には琵琶湖、湖面上の通行も見て取れます。

【中央奥が伊吹山】

【琵琶湖からの風が気持ちいい】
西の丸・三重櫓

正面突破が無理なら搦め手(裏側)から攻めてみよう!

答え:無駄です。

こちら側にも大きな堀切があり、そこには小谷城を移築した三重櫓が聳えています。

【堀切と石垣が行手を阻む】

【山崎山道から見た西の丸・三重櫓】

西の丸・三重櫓も開放されていたので中に入ってみました。

【大きな梁、土壁、これはなかなか貴重ですね】

要衝の地・彦根を任せられるのは井伊しかいない

彦根城のある地域は古くから交通の要衝で、軍事的にも重要な場所でした。
大坂の秀吉は東国への備えとして、最も信頼していた石田三成をここ佐和山に置きました。
そして江戸の家康は西国への備えとして、最も頼りになる井伊直政(井伊家)が睨みをきかせるよう彦根を与えました。

井伊家は最後の14代藩主・井伊直弼に至るまでずっとこの彦根の地を治め続け、徳川譜代としては最大の35万石を拝領するに至りました。
滅亡寸前(ちょっと滅亡していた)だった井伊家の大逆転サクセスストーリーです。

大人になって歴史を知り、城の構造とかも理解できるようになって見た彦根城。
とても充実した城巡りができました。
まだまだ彦根城の魅力や見どころはあるのですが、今回は回りきれませんでした。
課題を残して次の機会にしたいと思います。

それでは皆さん、Have a nice day !